悟りや覚醒って本当に存在するの?

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そもそも悟りなんて本当にあるの?

この問いに対して、できるだけシンプルに答えてみたいと思います。

ここでいう悟りとは、「目覚め」「覚醒」「真我実現」などと呼ばれているものです。


この記事では、“悟りは確かに存在する”と言える理由を、あなた自身が毎日経験している「ある身近な現象」から探っていきます。

  • 目覚めている状態
  • 夢を見ている状態
  • 夢も見ない“熟睡”の状態

この中で最も注目すべきは「熟睡の状態」です。

ちょっと考えてみてください。

熟睡中、思考も感情も自己認識も完全に停止しているにもかかわらず、目が覚めると「私は熟睡していた」と知っている。

ここに不思議な逆説があります。
通常、「私」とは、思考や感情、身体の認識によって成り立つものです。
ところが、熟睡中はそれらの認識がまったくなかったにもかかわらず、
「私は寝ていた」と知っている“私”がいる。

この “在りながらも、何もない” 状態こそが、悟りと深く関係しています。

「ただ在る」──それが悟りの原点

悟りとは何か?
それは、熟睡と同じように「ただ在る」純粋な意識の状態を、
目覚めたまま気づいているということです。

  • 思考や感情の背後に、変わらず存在する“何か”
  • 覚醒・夢・熟睡、どの状態でも常に在り続ける
  • その「在る」という感覚こそが、本来のあなた

この気づきが、いわゆる“悟り”の入口です。


悟りとはゴールではなく、始まりである

本当の悟りとは、単なる一瞥体験や神秘体験ではありません。
「私は在る」という純粋意識に気づいたあと、
それに安定して“在り続ける”状態が「覚醒」と呼ばれます。

さらにその先、「私」という感覚さえも手放すプロセスが始まります。

この進行は、「ムクティ(解放)」と呼ばれます。
それは、「私は在る」さえも超えた気づきへと至るプロセスです。


まとめ:悟りは“特別”ではなく、見逃されているだけ

  • 悟りは、選ばれた人の特権ではない
  • 誰もが毎晩経験している「熟睡」の中に、その本質がすでにある
  • あなたはすでに「それ」に触れている。ただ気づいていないだけなのです

最後に

この記事のテーマは、今後もさまざまな角度から扱っていく予定です。
それは、同じ真実を、別の入り口から照らしてみる試みでもあります。
何度か読み返すうちに、あなた自身の中で“腑に落ちる瞬間”が訪れるかもしれません。

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