そもそも悟りなんて本当にあるの?
この問いに対して、できるだけシンプルに答えてみたいと思います。
ここでいう悟りとは、「目覚め」「覚醒」「真我実現」などと呼ばれているものです。
この記事では、“悟りは確かに存在する”と言える理由を、あなた自身が毎日経験している「ある身近な現象」から探っていきます。
私たちは毎晩「3つの意識状態」を経験している
あなたもきっと、こういうサイクルを毎晩くり返しているはずです:
この中で最も注目すべきは「熟睡の状態」です。
熟睡は“何もない”のに、なぜ「私は寝ていた」とわかるのか?
ちょっと考えてみてください。
熟睡中、思考も感情も自己認識も完全に停止しているにもかかわらず、目が覚めると「私は熟睡していた」と知っている。
ここに不思議な逆説があります。
通常、「私」とは、思考や感情、身体の認識によって成り立つものです。
ところが、熟睡中はそれらの認識がまったくなかったにもかかわらず、
「私は寝ていた」と知っている“私”がいる。
この “在りながらも、何もない” 状態こそが、悟りと深く関係しています。
「ただ在る」──それが悟りの原点
悟りとは何か?
それは、熟睡と同じように「ただ在る」純粋な意識の状態を、
目覚めたまま気づいているということです。
- 思考や感情の背後に、変わらず存在する“何か”
- 覚醒・夢・熟睡、どの状態でも常に在り続ける
- その「在る」という感覚こそが、本来のあなた
この気づきが、いわゆる“悟り”の入口です。
悟りとはゴールではなく、始まりである
本当の悟りとは、単なる一瞥体験や神秘体験ではありません。
「私は在る」という純粋意識に気づいたあと、
それに安定して“在り続ける”状態が「覚醒」と呼ばれます。
さらにその先、「私」という感覚さえも手放すプロセスが始まります。
この進行は、「ムクティ(解放)」と呼ばれます。
それは、「私は在る」さえも超えた気づきへと至るプロセスです。
まとめ:悟りは“特別”ではなく、見逃されているだけ
- 悟りは、選ばれた人の特権ではない
- 誰もが毎晩経験している「熟睡」の中に、その本質がすでにある
- あなたはすでに「それ」に触れている。ただ気づいていないだけなのです
最後に
この記事のテーマは、今後もさまざまな角度から扱っていく予定です。
それは、同じ真実を、別の入り口から照らしてみる試みでもあります。
何度か読み返すうちに、あなた自身の中で“腑に落ちる瞬間”が訪れるかもしれません。