あなたは数分もの間考えごとに没頭していて、ある瞬間、名前を呼ばれて、「はっ」と我に返ったことがきっとあるでしょう。
そのとき、私を自覚しました。
この私が私であるという感覚。
これはいったいどこから湧いているのでしょうか?
心というものは、つまり動きのことです。もし心が完全に停止したらそれは心とは呼べません。心とは動きありきで心と呼ぶことができます。
さて、では、心の動きの、原初の心の動きとはなんでしょうか?
それが、「私」なのです。
これが第一に派生します。
あなたは、熟睡中、「私が熟睡している」とはいえないわけです。そのとき、「私」という、
心の動きが停止しているから。
さて、心、つまり、想念の第一派生が、「私」という想念ならば。
その私という想念は一体どこから生まれるのでしょうか?
あなたが朝目覚めた瞬間、また、ある時ボーっとしていたら名前を呼ばれた瞬間、「あ、これ私のことを言っているんだ」と気づいて自分を自覚した瞬間、そのとき、私は、あなたの中のどこかから生まれたはずです。
さて、一度、私がどこから立ち上がるのか、
見てみてください。何が起こるでしょうか?
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