なぜ、私は「絶対意識」ではなく、「純粋意識」の安定を勧めるのだろう

即、ただ、絶対へのジャンプが起こることはあり得ます。

私にそれが起きたとき、対象として絶対、

無と有を超えた「それ」が主体に大転換しました。

ただし、私がもしも純粋意識、「私は在る」に

とどまり、それを自己の本当のアイデンティティと移行していなかったとしたら、おそらく絶対を対象として観る、認識を超えられなかっただろうと思います。また、魔境に陥る可能性も大変高いと思います。

問題はエゴが完全に消えるという文脈がありますが、正確にいうなら、私はエゴという微細な錯覚の振動との同一化が、ほどける、溶ける、

そういうことなんです。

また、絶対への展開は、因果関係がまったくないという事実を突きつけられます。

私の長年の探求、あらゆる学びの実践、

瞑想、明け渡し、あらゆる神に対する働きかけは、まったく、関係なかったという、

涙も笑いをも超えた事実がそこで突きつけられます。

そのため、「あぁ、これは、まったくスピや悟りや、自己探求や宗教的追求にまったく触れていない、普通の人にもこの「絶対」への大移行は起きても不思議ではない」こうなりました。

しかし、これでは片面的理解です。

同時に、「意識が私であるという、意識や気づきの深まり・安定がなければ、この価値、このあらゆる神々をも超えた源泉、また、全宇宙が消滅しても残るただひとつの「それ」の真意も最高の価値も、宇宙の意味も、決してわからず、多くは抱えきれず、扱いきれずに、魔境に堕ちてもおかしくはない」という理解も生まれます。

そのため、私はまず、何はともあれ、

悟り探求、真理探求、目覚めへの切望が起きた個人の私に対して、

なによりも、まずは、

あなたは意識なんだよ。ということを、

くどくど、しつこく、お伝えすることにどうしてもなってしまいます。そして、それが、最も安全で近道で、絶対への大転換の誘い水にもなる。と確信しております。

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