「悟りって、本当にあるの?」
「あるとして、どんな体験なの?」
そう思うのは、とても健全です。
スピリチュアルな話に慎重になるのは、心の自然な防衛反応でもあります。
悟りというものは特別な人だけが手にする神秘体験ではありません。
実は誰にでも開かれている道。
意外かと思われるかもしれませんが、あなたも、毎晩あたり前のように
「それ」に触れています。
それが「熟睡」です。
今回の話の流れ
- 私たちは毎晩、三つの意識状態を行き来している
- 「熟睡していた」と、なぜ言えるのか
- 世界も思考も消えても残る “ただ在る感じ”
- 悟りは終わりではなく、始まり
- あなたはすでに毎晩その入り口に立っている
三つの意識状態を、誰もが経験している
夜になると、私たちは自然に眠りに入り、次の三つを行き来しています。
- 目覚めているとき
- 夢を見ているとき
- 夢すら見ていない深い眠り(熟睡)
多くの人は
「寝た」「起きた」
くらいの認識ですが、この三つはまったく別の質です。
今回の主役が「熟睡」です。
「熟睡していた」となぜ分かるのか?
朝、こう思ったことがあるはずです。
「よく寝たな」
「熟睡してた感じがする」
でも、熟睡している最中のあなたには
- 思考がなく
- 感情もなく
- 身体の感覚もなく
- 「自分」という自覚すらなかった
つまり、あの時間帯には
あなたは完全に姿形を消していました。
それでもなぜ
「私は熟睡していた」
と言えるのか。
ここには、記憶だけでは説明できない
“何かが在る感じ”
が関わっています。
すべてが止まっていたはずなのに、どこか深いところで
静かに “知っている” ものがある。
この静けさこそ、意識の本質に近い部分です。
「ただ在る」それが悟り
熟睡のあいだ、世界は消えている。
思考も、感情も、身体の感覚もない。
それでもなぜか
「自分は寝ていた」と分かっている。
くりかえしますが、この、“分かっている感じ”。
これが、存在の奥にある「ただ在る」という静けさ。
悟りの本質は実は、
神秘的なビジョンや、完璧な性格になることや、超能力的体験ではなく、
すべてが静まったあとに
最後まで残り続けるもっとも親密な
「あなたそのもの」の性質です。
悟りは終点ではなく、むしろ始まり
悟り=ゴール
というイメージがありますが、実際はその逆です。
- 一瞬の気づき
- そこから始まる理解の深まり
- 静けさへ戻っていくプロセス
悟りとは、この流れの「入り口」です。
熟睡という体験があるからこそ、
目覚めているときにも
この静かな「在る」を思い出す可能性がある。
まとめ
あなたは毎晩、悟りの入り口に触れている。
- 目覚めているとき
- 夢の中
- 熟睡で完全に静まっているとき
この三つすべてに貫かれている “変わらない何か”。
それがあなたの本質。
悟りはどこか遠い場所にある特別な体験ではありません。
あなたは毎晩そこに戻っています。
あとは、目覚めている今、この静けさを思い出すだけです。
そのとき、声なき声がこう語るでしょう。
「おつかれさまでした。おかえりなさい」と。



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