絶対意識のあと、ナマコの王をしていた

絶対意識のあと、ナマコの王になった。

某都内にあるスパリゾートに常駐していた。

毎日のように通い、朝から晩まで、岩盤浴や温泉でナマコのようにプカプカと放電し続けた。

当時私は「絶対意識」において主体と対象が溶け落ちたあと、しばらく強烈な無為の期間があった。

その頃の私は本当にびっくりして脱力がやばかった。ただ存在しているだけの現れ。 存在と言うより、もはや非存在の記号のような感覚で、残留したエゴのエネルギーをただ放電し続けることだけだった。

これはちょうど、PCでシャットダウン押しても即座に画面が消えず、
「ウィーンウィーン」としばらく余熱を吐いてから落ちるあの感じによく似ていた。

脱力的に過ごしたその期間がどれくらいだったのか、正確にはまったく描写できないが、数ヶ月そんなサイクルを過ごしていた。

ただ、あるときふいに、

「いま集合意識の中で、意識に至り、その定着や深まりが急速に増えている」

と理解した。(主観的に。)

真っ先に思ったのは、ああ、本当にそうなんだだった。

よくYouTubeとかで見る言葉だったからだ。あぁそうなんだ。

たしかに全体的に、恩寵的に見ればよきことである。

でも私は少し戸惑った。

意志や動機となる、衝動が無効化されてしまっていたからだ。

これまで、欠かさず純粋意識にとどまる瞑想をしたり、聖典研究してみたり、宇宙の歴史にいろんな想いを馳せてみたり、聖者や師たちのことを想ったり、

結構それなりにやることというか意義がそれなりにあった。

だけど、根こそぎ抜かれてしまい。「一切合切、即、空虚」に近い感覚を覚えた。

「絶対意識」があまりにも強烈で、私の個人としてのヴァーサナーはあまりにも無数の層がボロボロと溢れ出した。

ただ起きるままに明け渡し行為を起こしていた。

といっても、「ナマコの王」の職務は、ただ海底の底で口から放電するのみだったのだが。

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