意識である、あなたへ
この文字を読んでいるのは本当はエゴではない。
意識である目撃者のあなただ。
実際は意識であるあなたが主人公であったと、
意識そのものが思い出すことである。
あなたは、身体であり個であるという幻想を解除されるその瞬間まで、
いつまでも噂に惹かれて、議論ゲームを繰り返すことをやり続けるだろう。
あなたは、それ、「純粋な意識」である。
私は全体意識と、絶対意識にカテゴリーを分けたが、それは純粋意識であるあなたが、
純粋意識を知って安定していくプロセスがこの先にあることを把握しておいて欲しいためである。
純粋意識は眼球でいうところの、
眼球それ自身であり、対象としては自分のことを見つけることも探すことも不可能である。
あなたはどんな手を使っても、
あなた自身である純粋意識を見つけることも、
知ることも不可能である。
それは、それで在るしかないのだ。
それで在るとき、強烈な確信を抱くだろう。
この言葉は何度も見逃されるだろうから、
何度も言おう。
純粋意識であるあなたを本当に思い出すとはどういうことか。
あなたがもし、想念・身体の個としてこの意味を探っても、イメージにしか辿り着けないだろう。
あなたが、本当に本当に、私はすべての主体である意識そのものだと至ったとき、
すべての偽りの殻を破り、
ハッキリとハッキリと目を覚ますことに至るだろう。
言葉でどれだけ指し示しても、すべて陳腐になってしまう。
しかし、確信はマインドや心で個が「理解した!」と感想を抱くことでは決してない。
純粋意識そのもののあなたとして、
エゴシステムという牢獄の「目撃者で在る」ということである。
つまり、あなたは刑務所の外側の位置、本来の主体を思い出すということである。
これは直接体験、直接理解するしかないが、強烈な瞬間である。
確信
これは直接的、電撃的な確信である。
0秒の確信である。
0秒でそれを理解するのである。
これは再び、思い出すことである。
自分を見失った記憶喪失から、突然、
自分を思い出すときの電撃的衝撃である。
なぜなら、あなたは一度も身体でも個人でも無かったのだから。
主人公は純粋意識である。
あなたはまず、ここからすべてを学ばなくてはならない。
つまり、霊性の道、スピリチュアルの学び。
真理の道、悟りの道、真の自己探求の道。
純粋意識を知ってからがやっと始まりである。
それまでは、ずっと個と世界という詐欺的な牢獄に閉じ込められたままである。
残念ながらそうであるしかできないのだ。
なぜなら、エゴが主人公だと誤認識が確固として成立しているからだ。
そのため、まずは頭の理解でいいから、その誤認識に1ミリでいいからヒビが入ること。
そこからが福音を生きる段階、
霊性の道に入る最初のステップである。
あなたが様々な個という偽主人公、偽主体を演じて来た理由は、ただ純粋意識を知らなかったからである。
あるいは、純粋意識を外側に探し続けていたからである。
言い換えれば、真実を外側に探し続けていたからである。
そして、その構図の真のところは、
純粋意識それ自身があなたなのに、
純粋意識であるあなたが、とんでもない勘違いをして、個に完全に同一化し続けてしまっていたのである。
個や世界これらの動きは、純粋意識であるあなたが、
無防備に為されるがまま気の遠くなるほどの歳月を偽りの主体として過ごしていたからである。
しかし、時は満ちた。
あなたは茶番劇を終わらせないといけない。
そのため、これらの文章を読むことが起きているのである。
もう一度言う、嘘偽りの茶番劇を、
終わらせる必要がある。
なぜか?
それがあなたの運命だから。
どんな時代、どんな姿形の個であっても、
必ず、必ず、少なくとも、チャンス・機会は開かれている。
あなたは今世で再び見逃すか、内側に根付かせるか、
どちらかが起きる。
それはパラドックス的に、
個の偽主体には選択の余地はない、選ぶことは不可能である。
しかし、同時に機会は、
生きとし生けるもの、誰にでも開かれ続けている。
あなたに聖なる炎が灯りますように。
合掌。

