あなたは、いつから『私』になったのか

「私」という概念の誕生と、分離の始まりについて

あなたは、いつから始まったのだろうか。

このことを、覚えているだろうか。

あなたは本来、完全に満たされた、
完璧ともいえる何かだった。

欠けも不足もなく、比較もなく、
始まりも終わりもなく、
時間さえ必要としない在り方だった。

そこには、まだ「あなた」と呼ばれるものもなく、
「世界」と呼ばれるものもなかった。

主語も客体もなく、
観測者と観測対象の区別もなかった。

ただ、在った。

しかし、ある時に、それは始まった。

この話は、
世界の始まりでもあり、
同時に、個としてのあなたの誕生物語でもある。

神話ではこれを「創造」と呼び、
科学は「ビッグバン」と名づけ、
聖典は「ロゴス」「振動」「言葉」と語った。

だが本質的には、
それは爆発でも創造でもなく、
分離の最初の揺らぎだった。

あなたは突然、意識として世界を放出した。

とつぜん、何もない「   」から、
世界を放出させたのだ。

それは、意図された創造ではなかった。
計画も目的もなく、
誰かが決断したわけでもない。

ただ、起こった。

真空が完全な無ではなく、
必ず微細な揺らぎを孕むように、
完全性は、沈黙のままではいられなかった。

この世界が起こった瞬間、
意識としてのあなたは、ただ在った。

そこには、まだ分離は成立しておらず、
全体と個と呼べるような区切りもなかった。

見る者も、見られるものも、
内と外も、上と下も、
まだ区別されていなかった。

それは、存在そのものの愛で満たされていた。

あなたの中ですべてが許され、
すべてが無条件だった。
すべてが自由に、自らを表現して動き回っていた。

自らが在るという事実そのものが、
強烈な歓びであり、祝福であり、
その奇跡の在り方に、
あなたは深い興味を覚えた。

まだそのころ、
意識内の運動はとても静かだった。

だが、潜在的には、
ある「種」がすでに備わっていた。

それは、記憶の原型。
分離の可能性。
自己を自己として知ろうとする衝動。

それは、かすかな香りのように、
違和感のように、
あなたの内側で立ち上がり始めた。

あなたは、どこかで、
ズレを感じ始めた。

それでも、意識は休むことなく展開していった。

その時は、まだ記憶が猛威をふるうことはなく、
思考はただ起こり、行為はただ起きていた。

判断も評価もなく、
成功も失敗もなく、
意味づけさえ必要なかった。

あらゆる現象は、不思議に満ちた、
奇跡のような映画だった。

ただ、映っては消え、
消えては映る。

そこに、「私」という登場人物はいなかった。

しかし、全体意識は、やがて身体に依存した。

それは堕落でも過ちでもなく、
進化でも選択でもなかった。

あなたは誰かと契約してそうしたのではない。
話し合いもなく、許可もなく、署名もなかった。

ただ、そうなってしまった。

つまり、強制的に起きた。

あなたに備わっていたその種が、
発芽してしまったのだ。

発芽は、意志では止められない。化学反応が条件を満たすと勝手に始まるように、
分離は、ただ起きてしまった。
そして、意識は、形を持つことで、
時間と空間の中に自らを固定し始めた。

はじめに、言葉があった。

「あなたは◯◯よ」

その言葉は、何度も、何度も、
繰り返された。

「◯◯」という音。
「◯◯」という響き。

これは神経回路の固定だった。
繰り返される音と反応が、
自己認識の回路を形成していった。
言葉は、世界を説明するためではなく、
世界を切り分けるために生まれた。

そして、名前が宿った。

あなたは、ある時、身体になった。

身体に「◯◯」という
名前というラベルが貼り付けられた。

その瞬間から、
呼ばれるたびに、振り向く何かが生まれた。

呼ばれる前には存在していなかったはずの「私」が、
呼ばれることで、立ち上がり始めた。

それは何度も繰り返され、
やがて習慣になり、
常備されるようになった。

記憶の機能が発達し、
「私であり続ける感覚」が形成されていった。

その時点で、目の前に何度も現れ続ける対象物が、あなたのすべてになった。

それが、親だった。

世界は、親の顔、声、表情、反応を通して、
あなたに映し返されるようになった。

これが、姿形のない無限の広がりとして在ったあなた、目に見えない意識が、
初めて物質的な領域に宿った瞬間である。

あなたは、肉体に物心を宿した。

内と外が生まれ、
こちらとあちらが分かれ、
触れるものと触れられるものが分かれた。

分離は、ゆっくりと、
しかし確実に進行した。

次第に分離は加速していく。

一なるもので在るはずのあなたは、
少しずつ、バラバラになっていった。

身体は「私」、身体以外は「私ではない」。

感情は私のもの。
思考は私のもの。
あなたはどんどん沢山の「私のもの」を増やしていった。
しかし、他人は私ではない。
世界は私ではない。
身体以外は私ではない別の何かである。
そのように分離は加速していった。

こうして、「私」という概念は、
世界を生き延びるための
装置として形成されていった。

それは、間違いではなかった。
必要なプロセスだった。

だが同時に、
この瞬間から、
失われたものがあった。

それは、
分離以前の静けさ。
分離以前の満ち足り。
分離以前の、理由なき安心。

こうして、
「私」は生まれた。

そして、
親という存在を通して、
あなたはその想念や観念を継承していった。

この物語は、
終わってはいない。

いまも、あなたの内側で、静かに、続いている。

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