パラトゥリクスとは

サイト名の意味と主題

パラトゥリクス(Paraturyx)という名前は、私の中で生まれた造語です。

次の三つの言葉をもとにしています。

パラ

サンスクリット語で、彼方、超越、究極などを表す言葉です。

トゥリーヤ

目覚め、夢、熟睡という三つの意識状態に対する「第四」を意味します。単純に四番目の状態が加わるというより、

三つの状態を超え、それらの基盤にある真我として説かれています。

パラドックス

一見すると矛盾している二つのものが、同時に成立することを表します。

パラトゥリクスが生まれた理由

森羅万象を織りなす精神の最深部で、すべての命はひとつの見えない流れに抱かれています。

これは、遥か昔に終わった話なのか、遥か未来が見ている記憶なのか、私にはわかりません。

わかることは、パラトゥリクスは、真理探究に惹かれた人が、自己と世界の構造を観照し、学び、思い出し、やがて本来の自己へと還っていくための励ましとして創られたということです。

真理探究について

悟り、覚醒、目覚め、霊性探究。

真理へ向かう探究は、人間の奥深くにある、根源の真実の記憶のようなものだと感じています。

時代によって、その流れが高まり開花することもあれば、減衰し、息をひそめるように見えることもあります。

それでも、真理を求める魂の渇きそのものが、世界から消えることはありません。

私たちはどこかで知っているからです。ただ存在しているだけで、ほんとうは何ひとつ欠けていないことを。

サイトの主題

このサイト記事は、言葉や概念、問いを使いながら、

言葉や概念によって固まったものをゆるめ、そこに見抜きが自然と起きてくるような構造になっています。

  • 「私とは一体誰か」
  • 「私とは一体何なのか」
  • 「私はどこから来て、どこへ向かうのか」
  • 「何のために存在し、この生と死にはどのような意味があるのか」

こうした問いが指しているものを、マインドの理解だけで終わらせず、直接的な理解として深めていきます。

私たちが生きているこの相対的な世界には、個があり、世界があり、時間と空間があります。その中には、光と闇、幸せと不幸といった、二つに分かれて現れるさまざまな物語があります。

それと同時に、それらが現れる基盤を「純粋意識」や「私は在る」と呼んでいます。

さらにそれは「全体意識」として成り立っており、さらにその背景には「絶対(絶対意識)」と表現されるものがあります。

それは世界にまったく関わっていないとも言えるし、この世界もまた「絶対」の表現であると言うこともできます。

このように真理を言葉や概念にした時点で、パラドックスは生まれますが、このパラドックスを通して、言葉が指しているものに直接触れていくことが、このサイトの主題です。

言葉についての補足

以下は、用語をもう少し厳密に知りたい方への補足です。

(各用語の解説はこちら。)

「純粋意識」や「トゥリーヤ」という言葉が何を指すかは、聖典や教えによって少しずつ異なります。

『マーンドゥーキヤ・ウパニシャッド』では、トゥリーヤは目覚め、夢、熟睡のどの状態にも属さず、

それらを通して変わらない真我として語られています。

一方、パラトゥリクスという造語には、まず「私は在る」という純粋意識にとどまり、

それが安定した先で、その純粋意識さえ超えた「絶対」へ向かうという意味が込められています。

このサイトでは「私は在る」を純粋意識として、そのさらに以前を「意識以前」「絶対」そのときどきで「真我」「  」などと表現しています。