この用語集は、このサイトの記事で使われる言葉を整理したものです。
ここでの説明は、一般的な辞書的定義ではなく、このサイトにおける文脈上の説明です。
同じ言葉でも、伝統、宗派、思想体系によって意味は異なりますが、ここでは、真理探究、意識、自己認識、解放という霊性探究者の観点に寄せて整理しています。
全体意識を直接体験した時に見出される非二元の感覚。自己の中に、時空内のすべての出来事が含まれていると悟られるもの。光と闇、幸と不幸が織りなす整合性に対するパーフェクト感が溢れだす。そして、存在そのものに備わっている原初的感覚のこと。
私という感覚を神に捧げる覚悟のこと。やがてそれは行為者の不在を明らかにし、深度が増すにつれ、明け渡したという自覚さえ明け渡される。
インド思想で語られる、本当の自己、私は在る、純粋な意識のこと。非エゴとも言える。
この世界のすべて。純粋意識でもあり、全体意識でもある。言い換えれば、アートマンとブラフマンは同一であるということ。
超越、絶対の領域であり、究極の真我のこと。
エゴが一時的に、意識から本性を見せられること。ある意味、恩寵でありギフトでもあるが、道半ばで足を止めたり、魔境にも陥りやすいため、慎重に扱うべきもの。
明け渡しへの境地の向上や、神との合一への切望により、度々発生するもの。私が在るにとどまることそのものが、祈りの本質でもある。
すなわち、全体意識のこと。
「これが私だ」と思い込んでいる感覚のこと。信念、記憶、想念、役割、行為、体験、身体との同一化。日常生活を送る上では、名前、性格、役割、記憶、判断などは必要です。エゴそのものが悪いわけではないが、それらを本当の自分だと思い込むと、果てなき苦しみが生まれる。
真我の自己再確認、回帰運動により、エゴが真理探究をする流れが今世において発動すること。そして実現に至ること。
絶対意識に最初の揺らぎが起こり、天地創造の時に発せられた音。マントラでも使われる。
純粋意識、アートマン、私は在る、存在に備わっている「気づきの力」のこと。あるいは、見ている立場。それにより、思考や感情や身体感覚を認識している。
世界全体の五元素的運動を指す場合もあれば、意識そのものを指す場合もあれば、すべてを超えた根源、絶対意識や真我を指す場合もある。
物質世界における、隠しきれない霊性エッセンスの波及。
意識、存在に備わっている叡智のこと。非個人的な認識のこと。
意識が織り成し、展開を繰り広げるこの世界が、深層レベルでは空だと直接悟ること。しかし、空は空すらも知らない。それが、空も空ずると言われる所以である。
「私」と現れが強く結びつくことで生まれる、肉体感覚より微細な内的圧迫のこと。しばしば魂が真理探究に向かうきっかけともなる現象であるため、反転の装置とも言える。
エゴと同義。世界の一部の点。魂、心身、脳、名前との同化。個我。真我を探し続ける力学、エネルギーのこと。
すべての経験や存在が現れるもと。純粋意識、あるいは全体意識のことを指すことが多い。
インド哲学は五大元素、ギリシャ哲学は四大元素。どちらにせよ火、風、水、土、そして空のように、意識内の元素が運動を起こし、世界や人生が展開していく性質、自然科学の理論。
インド哲学における、物質だけではなく心や感情を構成する三つの性質。純質、激質、鈍質などがある。
明け渡し、放棄、バクティと類似。
色界は意識の運動そのものであり、物質世界と同義。
主体は意識であり、対象は「私ではない」と見抜くプロセス。ネーティ・ネーティ、それではない・それではない、とも呼ぶ。
「私は誰か?」そこに焦点を絞り探究していく道。真理探究と同義。アートマ・ヴィチャーラともいう。
身体を「私」だと感じている状態。
簡単な言葉を心の中で繰り返し唱えること。
見性と同義。自分とは個人ではなく、意識そのものだと直接的に体験する現象のこと。
意識である自己への確信が強固になるプロセスと、同時にエゴの幻想性と同一化の剥がしが進展していく現象。
「 」言語不能、描写不能、表現不能。エゴ?自分?真我?悟りって何?の領域。もはや非現象であり、絶対、意識以前の領域。
潜在的傾向、ヴァーサナー、潜在意識システム内に巣食う「私はこれである」という誤審や、結びついた誤想念たちを、気づきの叡智によって見抜き、対象化し、軽くしていくこと。
聖典や文献や文脈、語り手によって、純粋意識、全体意識、絶対意識のどれとして表現しているかは非常にまちまちである。ここでは絶対意識のことを指す。
一瞥体験と似ているが、一瞥体験は真理そのものを先取りして垣間見るのに対して、神秘体験はマインドの創作的レベルから脳内物質の類まで幅が広い。また、真理探究の道を深めれば深めるほど、現象的現れとみなし、次第に重きを置くことはなくなる体験的記憶のこと。
思考や身体より前にある、気づき、認識そのもののこと。
真我探究においてのプロセスを飛躍的に促進させるが、今世のテーマやヴァーサナー的に相性が合わないと、純粋瞑想との縁は起きないようにできている。
境地や完全なる明け渡しからなる無私の表現を、この世界で表す非個人的な現象。集合意識に影響を与える。
霊性においては、理論的に言語表現や、表現、説明をし、実現の手助けをする現れ。
インド哲学ではパラブラフマン。仏教だと大悟そのもの、涅槃。キリスト教だとキリスト意識。対の絶えた領域。あらゆる現れや全概念を超えた、文字通り絶対的領域。真理実現、真理探究の終焉と同義。
世界、宇宙が意識そのものであり、自己そのものだと悟ること。ワンネス、一なる意識とも同義。
思考が単音だとしたら、想念はシンフォニー。つまり、思考の塊であり、層になっている。
想念の深層の領域である。数々の転生の記憶が糸のように織り混ざっている。個人の観念形態から集合意識にまで結びついている。ヴァーサナー、潜在的傾向とも呼ぶ。
これは三位一体と同様の意味。
意識そのものは語れても、絶対意識は語れないため、沈黙が最もそれ自身に近い在り方であるというアプローチ方法。
段階を踏まず、一足跳びに悟りを目指すもの。
漸進的に、つまり階段を踏むように段階的に学び、やがて悟ること。
時空と霊性成長、超越のメタファー・シンボル。
意識そのものに在る状態。私は在るにとどまるとも同義。あらゆるすべての中心でありながら、それらを内包しているハートフルかつ不可思議な立場。
もともとはアドヴァイタからの概念。絶対の領域を指し示すための言葉。かなり誤解と混乱を生みやすい、本来密教的な高度な教え。
真我、意識、恩寵のことである。創造、維持、破壊と同義。
霊性向上や進化のことばや現象。
全体意識、宇宙意識と同義。
宇宙誕生と同義。絶対意識、真我に「認識」が起き、夢物語が始まること。
アートマンとブラフマンは同一であるという、シャンカラが説いた哲学。
夢。現象世界。意識の織りなす運動のこと。
潜在意識、ヴァーサナーを浄化するための音。祝詞やお経、カタカムナなどと同義。弁天やサラスヴァティの恩恵。
意識の織りなすマーヤから、また個人という夢から醒めること。覚醒と同義。
観照の気づきの叡智が増えて、識別力が発達すること。何が嘘で何が真か、の見抜きの力の発達とも同義。
マーヤの非存在性への直感と、行為者の幻想性の看破から沸き起こる、ハートの緩和現象。
何かを得たい、避けたい、満たしたいという動きのこと。各個人と世界の存在維持の動機でもある。
インド哲学においての、個人の潜在的傾向のこと。潜在意識ともほぼ同義。
存在にとどまる、意識にとどまる、気づきにとどまるとも同義。純粋意識でもある。
全体意識、愛と同義。すべてが別々、バラバラではなく一つ、あるいは分たれていないと直接体験される現象。
純粋意識、空性を示す時もあれば、絶対意識を示す時に表現として使うこともある。
私は在るにとどまっている状態を示すための表現として使うことがある。
