はじめに
パラトゥリクスの記事は、三十年余りにわたる自己探究を経た管理人の探究の軌跡から書かれています。
- 記憶の残像。
- 途中に記録していた文章やメモ。
- 純粋瞑想。
- 明け渡し。
- 質疑応答。
- そして、それらも含めて、ただ起きてくる発露。
そうしたものの中から、記事は生まれています。
挨拶のような短い文章もあれば、雑談のようなものもあるでしょう。
啓示的な断片、詩文、書き下ろし、あるいはエッセイ風の雑記もあると思います。
構成としてはかなり雑多になるはずです。
けれど、その雑多さも含めて、真理を深める者に何らかの直接的理解が起こることを願って、更新していきます。
もちろん、読み手の関心の向きや、潜在的想念の型、そして意識の直接理解が今どの段階にあるかによって、届く言葉は変わります。
この世界のさまざまな概念に、まだ強く惹かれている段階なのか。
あるいは、それらの夢から少しずつ醒めはじめ、現実的な価値観そのものが、どこか仮のものとして見えはじめている段階なのか。
だからこそ、私は記事のカテゴリーを分けることにしました。
「個人と世界」の構造
ここは、「あなたという個人」と「世界」に関するフェーズです。
「自分とは何か」
「自我とは何か」
「世界とは何か」
「苦とは何か」
「潜在的想念とは何か」
そうした、いま感じている現実の構造に着目し、解剖し、整理していきます。
ここが曖昧なままだと、どれだけ意識の話を聞いても、結局また同じところに戻ってしまうからです。
意識そのものへ移行する
そのあとで、視点は「意識そのものであるわたし」を思い出す段階へ移っていきます。
ここで起きようとしている流れは、アイデンティティの移行です。
「私は身体である」
「私は思考である」
「私は記憶である」
そうした個人の私という前提から、
「私はそれらを認識している側である」
という智慧の立場へと、在り方そのものが移っていきます。
この段階では、熟考や考察よりも、直接体験のほうが鍵になります。
そのため、必要に応じてセッションと併用していただくことで、理解が深まりやすくなることもあるでしょう。
また、純粋意識、全体意識、宇宙意識といったカテゴリーでは、私という個人があなたという個人に語りかける、という二元的構図よりも、「意識が意識に対して語りかける」という構図で表現していきます。
そのため、書き方も敬体ではなく、常体になることが多くなります。
知識は何度も浸透させる必要がある
ここに書かれている内容は、おそらく一度読んだだけで咀嚼し、理解しきれるものではありません。
私自身、すべては直接体験こそが鍵であり、聖典や本も含め、頭の理解だけで本当にわかるものではないと感じています。
それでも書いていきます。
ここには大きな矛盾があります。
では、なぜ文章を書くのか
それは、それでも集合意識に少しでも種を蒔きたいからです。
ある者に直接体験が起こるまでに、私たちは気の遠くなるほど長い時間をかけて、「私」という前提を強化してきました。
だから、ただ一度文章を読んだだけでは、その根深い前提はほどけません。
エゴはとても巧妙です。
このように心の奥に残り続ける傾向や潜在的印象を、ヴァーサナーと呼びます。
パラトゥリクスの記事は、このヴァーサナーを少しずつ緩め、解き、溶かしていくためにあります。
エゴ・システムは、エゴを解放するはずの真理探究さえ、自己保存の強化のために利用します。
さらに、そのことを巧妙に隠しながら、理解したふりをします。
変容することよりも、知識を得た私という安心感を欲し、自己感覚を生き延びさせようとするのです。
そのため、さらっと読んで、
「まあ、こういうことなんだろうな」
と表面的に理解したつもりになることは、誤解も含めて、かえってエゴを強化することにもつながります。
なので、できれば何度も読み返し、少しずつ浸透させていってください。
最後に
それでもわからないことや、どうしても気になることがあれば、お問い合わせフォームからご質問ください。
また、すでに直接理解が深まりつつある方にとっては、より強く共鳴する内容もあると思います。
言葉による理解がある地点まで来たとき、それは自然に発芽し、直接的な体験へとつながっていきます。
いろいろ書きましたが、どうか気楽に、リラックスして読んでみてください。


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