「私」が生まれる前にあったもの
「パッ」突然のはじまり。あなたの中で生という体験がはじまったあの瞬間。過去と未来も現れました。
あなたは本来、完全で満ち足りた、完璧な存在だった。
こう聞くと、反射的にあなたの思考は「完璧な自分の姿」を思い描いてしまうかもしれない。
けれど、それは違う。
なぜならイメージとは想像にすぎない。
その「完璧なあなた」とは、決してイメージすることのできない名前以前のなにかである。
イメージすることができない。だからこそ、そこでは、あらゆる苦しみや不幸が消え失せている。
そのあなたには、まったくなんの動きもない。なんの変化もない。
そう。
あなたはかつて、そのようなあなただった。
不動で不滅で不変の何かだった。
それは古来、真我、純粋意識、本当のわたし、などとして語られてきた。
そして100年後も、1000年後も、未来永劫、同じように語られ続ける何かである。
本来のあなた。そして、仮のあなた
さて、今のあなた。
この画面の文字を見ているあなた。そのあなたには名前があり、姿があり、形がある。
そう。あなたは自分の身体がそこにあって、目を通して、世界を見ている。
これこそが自分である、と。
しかし、それは本当にあなた自身だろうか?
本当にそれだけが、あなたのすべてだろうか?
それともその自分とは、あなた自身の中に現れている、仮の姿だろうか?
あなたは「時間」というものを知る前の「 あなた」のことを覚えていますか。
あなたは何かを見る。スマホの画面。人の顔。空の色。
あなたは何かを聞く。
誰かの会話。車の音。風の音。
あなたは何かに触れる。
服の感触。椅子の硬さ。身体の重さ。
あなたは何かを味わい、何かの匂いを感じる。
甘さ。苦さ。湿った空気。懐かしい匂い。季節の香り。
これら五感は、あなたの意識の中で世界を映し出し、変化してゆく。
休むことなく、現れては消えていく。
意識としてのあなた。
その中にさまざまな物語が繰り広げられてきた。何度も、何度も。
ところで、その「意識」とはなんだろうか。
名前も形もない「それ」として在るあなた
「意識」という存在の「あなた」には、実は名前や姿や形がないのがわかるだろうか。
あなたは、ただ「それ」として在り続けているイメージも想像も不可能なものだ。
それは静かで、極限にまで純粋に澄みきり、存在感に満ちている。
それがあなたの本性だ。
だが、あなたにはそうは感じられない。
世界は、ある時、あなたの内側に現れたものとして、外側に見え始めた。
はじめての世界との接触
ある時、微かな揺らぎが起こった。
そして、その揺らぎは、あなたであるそれを二つに分けた。
それが「個人としての私」の始まりだった。
そして同時に「動き」と「変化」との接触。つまり、世界の始まりでもあった。
あなたは、もともとただひとつの何かだった。
二つではない。
ただひとつの。
原初のあなたよ。聞こえるだろうか。
もともとあなたは、境界も、制限も、束縛も、変化を、知らなかった。
始まりも終わりも知らない、時間や空間さえ知らない。そんな“ 何か”だった。
「 ・ 」

もともとそこには、まだ世界も私もなかった
覚えているだろうか。
あなたはすべてのあらゆる記憶や物語が、発生することを可能にする基盤的存在なのである。
すべての記憶、おびただしい数の物語。
忘れてしまったのだろうか。夢が、はじまる以前の情景のことを。
はじめ。それらが起こる前、そこには、まだ「私」と呼ぶものも、呼ばれるものもなかった。
この世界も、この宇宙も、時間も空間も、まだなかった。
主体も対象もなく、観測者と観測対象の区別もなかった。
時間と空間が生じていないということは、すなわち、位置や距離という感覚さえなかった。
世界や人生がある、確かにここで起きている、と認識できるのは、時間と空間の領域の内側にいるときだけだ。
もともと、こうした現象世界は存在していなかった。
時間も空間も知らぬまま、あなたはただ、それとして在った。
ただ、それとして在った。
ただパーフェクトに「在る」静かな至福
それが、あなただった。
それが、あなたなのだ。
それが、あなたであり続ける。
永遠に、永久に。それが、真のあなたの立場だ。
今もなお、それが「あなた」であり、実は「私」でもある。
もちろん、その真のあなたは立場的に、「私」や「あなた」といった比較の概念を知らない。
一人称や二人称は成立しない。
ただ、存在している。それで完結している。
「数」は幻にすぎない。
はじまりの、はじまりに何が起きたのか
ある時、何かが始まった。
音が鳴った。無音の音が。
ごく小さく、そして大きく。点が無限に広がっていく。
さて、ここまで読んで、これはいったい何の話をしているのか?と怪訝に思った方も多いかもしれない。
しかし直感の鋭い人なら、もう気づいているだろう。
そう。これは、はじまりの、はじまりの話である。
聖典で言うところの天地創造の話である。
そしてこれは、悟り、覚醒、目覚めのプロセスを歩いていく魂にとって、とても大切な話でもある。
なぜなら、あなたは一人の人間として自我が形成される前から、名前のない「それ」として、ずっと、変わらず真のあなたのまま、今もここで在り続けているからだ。
いまここで語られている話は、一般社会の枠組みの中ではまったく聞き馴染みのない話だろう。
これは意識の話である。しかし、脳や神経の話としての意識ではない。
そのため霊的な(という表現を使わざるを得ない)意味での意識、霊性探究、真理探究の話である。
そしてこれは、他ならぬ、あなたについての話なのである。
次に続く。創世記②

