創世記 ① 名前を持つ前のあなたへ

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「私」が生まれる前にあったもの

「パッ」突然のはじまり。「あなた」の中で「 生」という連続的な体験がはじまった、その瞬間、過去と未来が現れた。

あなたに聞いてほしい。 

あなたは本来、完全で満ち足りた、完璧な存在なんだ。

こう聞くと、瞬発的に否定するか、

反射的に、思考は、今とは程遠い「完璧な自分の姿」を思い描いてしまうかもしれない。
だが、そうではない。

なぜならイメージとはたんなる想像にすぎないからだ。

その「完璧なあなた」とは、決してイメージすることのできない名前以前の「なにか」なんだ。

イメージすることができないもの。だからこそ、そこは不完全性が無いんだ。そこでは、あらゆる苦しみや不幸が消え失せている。

そのあなたには、まったくなんの動きもなければ、なんの変化もないのだ。

そう。
あなたはかつて、そのようなあなただった。 

不動で不滅で不変の何かだった。

それは古来、真我、純粋意識、本当のわたしなどとして語られてきたもの。

そして100年後でも、たとえ1000年後でも、未来永劫、同じように本当のわたしとして唯一在り続けるものなのです。

本来のあなた。そして、仮のあなた

さて、あなた。 

この画面の文字を見ているあなたのこと。 

そのあなたには名前があり、姿があり、形がある。


そう。あなたは自分の肉体、身体がそこにあって、目を通して、世界を見ている。

そして、当然のように、「これこそが自分である」と定義しています。

しかし、それは本当に、本性として、本質としてのあなた自身なのだろうか。

本当にそれだけが、あなたの「すべて」なんだろうか。

それとも、その自分とは、「本当のあなた自身の中」に現れている、一時的な、仮の姿なんだろうか。

あなたは時間というものを知る前のあなたのことを覚えていますか。

ふと、何かを見る。

スマホの画面。人の顔。葉っぱ。陽の光。空の色。

そして、何かを聞く。

誰かの会話。車の音。風の音。

何かに触れる。さわる。服の感触。スリスリ。椅子の硬さ。つかむ。感じる。身体の重さ。肩のこり。腹部の圧。

あなたは何かを味わい、何かの匂いを感じる。
甘さ。苦さ。湿った空気。懐かしい匂い。季節の香り。嫌なにおい。

五感は、あなたの意識の中で世界を映し出し、動き続け、変化してゆく。ずっと。

休むことなく、現れては消えていく。ずっと。

これが、意識としてのあなたの中での運動です。

それは、五元素の運動「地・水・火・風・空」とも言われてきた。

その中で、さまざまな物語が展開し、繰り広げられてきた。

何度も、何度も。

ところで、この「意識」とはなんなのでしょうか。

意識。

名前も形もない「それ」として在るあなた

「意識」という存在の中に運動が行われ続けている。

意識という「ずっと存在してるあなた」には、実は「名前」や「立場」が無い。

あなたはこのことを認めるだろうか。

そして、あなたは、ただ「それ」として在り続けている。姿や形はとくに無い。イメージも、想像も、とくに無い。

ただ、ただ。在る、存在している。 

それはとても静かで、極限にまで純粋に澄みきり、存在として「ただ、単に」安息に満ちている。 

「ただ、単純にして」ただ、ここに──在る。

それがあなたの本性。

そうじゃないでしょうか。

だが、私たちは、そうは感じられない

きっとすぐに何もかもが動くから。

動いて動いて「それ」を覆い隠す、その単純さの邪魔をする。

それがエゴと呼ばれる何かだった。

エゴは複雑に動く。マインドは動き続ける。

想像を次から次へと無限にモクモクと膨らませる。 

世界は、想像でできている。

複雑でなければ世界とは言えないほど。

そんな世界は、ある時、あなたの内側に現れたものとして、外側に見え始める。 

「パッ」 突然のはじまり。

はじめての世界との接触

ある時、安息に満ちていたただ在る、その存在に、微かな揺らぎが起こった。

そして、その揺らぎは、あなたである「それ」を二つに分けた。あなたと、あなたではない別のものとして。

それが「個人」の誕生だった。「個体としての私」の始まりだった。

そして同時に「動き」と「変化」「世界」との初めての接触だった。

つまり、生命、命の始まりであり、あなたの世界の始まりでもあった。

あなたは、もともとただひとつの何かだった、はずなのに。
二つではない。
ただひとつの。何かだった、はずなのに。

原初のあなたよ。いまこんな話と関わり合いたくないかもしれない。

しかし、私は伝えずにはいられない。なので言う。

思い出せ。あなたは深い、深い何かとして、本音の底の底に居るあなたよ。

いま聞こえるでしょうか。

もともとあなたは、苦を知らず、痛みを知らず、境界も、制限も、束縛も、変化さえも、知らなかった。

始まりも終わりも知らない、時間という概念、時間という「限りのある狭い箱」を知らない。

そんな自由な存在、在り方の何かだった。 

「 ・ 」

もともとそこには、まだ世界も私もなかった

覚えていますか。

あなたは元々、あらゆる記憶や物語を創ることを可能にする「基盤的存在」なんだ。

基盤というとピンとこないかもしれない。

基盤とは何か?ソフトがゲームなら、ハードであるゲーム機本体のようなもの。

すべての記憶、おびただしい数の物語、メモリー。

この夢が、はじまる以前の情景。これらはあなたの存在が在るゆえに放出された。

はじめ。

それらが起こる前、そこには、まだ「私」と呼ぶものも、呼ばれるものもなかった。

この世界も、この宇宙も、時間も空間も、まだなかった。

主体も対象もなく、観測者と観測対象といった区別もなかった。 

時間と空間が生じていないということは、すなわち、位置や距離という感覚さえなかったということだ。

世界や人生がある、確かにここで起きている、このように認識できるのは、時間と空間の領域の内側にいるときだけなんだ。

そう、もともと、こうした現象世界は存在していなかった。

時間も空間も知らなかった。

なのにもかかわらず、あなたはずっとただ、それとして在った。

ただ、それとして在った!

ただパーフェクトに「在る」静かな至福

それが、ずっとあなただった。 

それが、本来のあなたの姿。

そして、これからもあなたでずっとあり続ける何かなんだ。

永遠に、永久に。時間も空間も超え・・

今もなお、「真のあなた」は、これを読んでる「その個」ではなく、その個に気づいている「立場」が「あなた」なのです

もちろん、その真のあなたは立場的に、「私」や「あなた」といったこのような相対的なことばの意味や概念を知らない。

なぜなら比較という名の概念を知らないから。そのため、一人称や二人称は成立しない。

ただ、存在している。それで完結している。

「数」はあくまでも真実の立場からすれば、幻にすぎないのです。

はじまりの、はじまりに何が起きたのか

ここまで読んでくれてありがとうございます。

あなたはもしかすると「これはいったい何の話をしているの?」と怪訝に思ったかもしれません。

そう思うのは普通です。変人の言葉。もしくは、とても退屈な話に聞こえるかもしれない。

しかし勘の鋭い人なら、もう気づいているかもしれません。

そう。これは、はじまりの、はじまりの話です。

たとえば聖書なんかで言うところの「天地創造」の話をごくシンプルに話しています。

そしてこれは、パラトゥリクスにおける「悟り、覚醒、目覚め」といったプロセスを歩き深める運命の魂にとっては、とても大切な話です。

もう一度言います。これは大切な話です。

なぜなのかハッキリ言います。

それは、あなたが一人の人間として名づけられ、自我という輪郭を持つよりも前から、名のない「それ」として、変わることなく、真のあなたのまま、今もここに在り続けているからです。

そして何度も言うようにこれは、個人(自我)ではないあなた。他ならぬ、「真のあなた」「本当の自己」についてのお話なのです。 

あなたの内なる探究に、至福と恩寵が降り注ぎますように。

②に続く。

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この記事を書いた人

パラトゥリクス管理人。

真理探究、非二元、真我、絶対、明け渡しについて、言葉になったものを置いています。

個人の記録であり、個人を超えたものへの祈りでもあります。

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