創世記② 分離のはじまり

一台のメトロノームがある。

振り子は中央で止まっている。右にも行かないし、左にも行かない。まだ一度も音は鳴っていない。

このとき、最初の音はいつ鳴るのだろうか。一秒後だろうか。それとも、一分後だろうか。

いや、一秒も一分も、まだ始まっていない。数えるための音が、まだ、どこにもない。

そして、誰も触れていないはずの振り子が、突然動いた。

カチッ。

最初の一音

最初の音が鳴る。

振り子は右へ動き、戻ってきて、今度は左へ動く。

もう一度、音が鳴る。

最初の音。次の音。前と後。こちらとあちら。一つ目と二つ目。

それまで区別できなかったものの中に、順番が生まれる。

世界の始まりを描こうとするとき、私はこの最初の音のようなものを思う。

光、音、動きが現れた時、見るものと見られるものも現れる。

私と─世界。

それは、誰かがあらかじめ計画した建物のように、順序よく作られたのだろうか。設計図や開始時刻があらかじめあって、合図とともに始まったのだろうか。

神話は、その始まりを創造と呼び、科学は、宇宙の始まりをビッグバンという言葉で呼んだ。古い伝統では、言葉、音、振動、オームなどとして語られることもある。

呼び名は違えど、どの呼び名を使っても、最初の一音が鳴ったという不思議は残る。

誰が振り子を押したのか

誰が、最初に振り子を押したのだろう。

何のために動かし、なぜ、止まったままではいられなかったのだろう。

原因を探そうとすれば、振り子が動くより前へ戻らなくてはならない。

だが、「前」という言葉は、最初の音が鳴ったあとに生まれたものである。

原因が先にあり、結果があとに起こる。その順番には、必ず時間が必要になる。

では、時間が現れる原因を、時間の中から探すことができるのだろうか。

最初の音より前に何かがあったと書けば、その「何か」は、すでに最初の音より前の時間へ置かれてしまう。

誰かが始めたと書いても、その誰かは、始まりより先に存在していたことになる。

どこまで戻っても、問いは同じ形で残る。

その前には何があったのか?

では、その前は?

さらに、その前は?

問いはエンドレスで続いていく。そして、あるところで問いの道が崩れる。

答えが見つからないからではない。「なぜ」という問いを置くための時間が、そこには成立しないからである。

ただ、起こった

「分離は、なぜ起こったのか」

「誰が決め、この創造は何を目的としていたのか」

その問いを最後まで追っていくと、原因を置く場所の足場が崩れてしまう。

だから、私はこう書くしかない。

「ただ、起こった」、と。

この「ただ」という言葉は、原因を示す言葉ではない。

分からないことを神秘的な言葉で覆っているわけでもない。

原因を探すという動きが、それ以上進めなくなる場所に残響する言葉だ。

ただ、「唯」、である。

カチッ。

音が鳴る。

次の音が鳴る。

その二つのあいだには、わずかながら時間がある。

だが、最初の最初の音を鳴らすための時間は、どこにあったのだろう。

不可思議としか言いようがないのである。

起こったことと、起こっていないこと

物語の中では、分離は起こった。

世界、身体、動き、出来事があり、何かを選べば、その後に展開が流れる。

原因があり、結果がある。

この人生の領域では、「何も起こっていない」と言っても、目の前の出来事が消えるわけではない。

しかし、「時間が生まれる以前」や「時間の外」を指し示そうとした瞬間、「起こった」という言葉そのものが届かなくなる。

起こるとは、以前にはなかったものが、その後に現れることだから。

以前と以後がなければ、起こることもできない。

そのため、分離については二つのことが同時に語られる。

「分離は起こった」

それと同時に、

「分離は起こっていない」

この二つは、どちらか一方を選べば解決する矛盾ではない。

一方は、振り子が動いている物語の中から語られている。

もう一方は、右と左、前と後が生まれる以前を、言葉で指そうとしている。

ただし、そこに「分離は起きていないと知る誰か」がいるわけでもない。

知るものと知られるものが分かれているなら、すでに振り子は動いている。

最初の音より前に戻ろうとするたび、私たちはそこへ新しい時間を作ってしまう。

最初の音は残らない

メトロノームは動き続けている。右へ。左へ。

音が鳴るたび、次の瞬間が生まれる。

振り子を止めて、最初の音を探してみても、その音はどこにも残っていない。机の上にも、振り子の中にも、音と音のあいだにもない。

だが、最初の音がなければ、その後の音も始まってはいない。

誰が鳴らしたのか。

なぜ鳴ったのか。

メトロノームは答えない。

沈黙。

ただ振り子が動き、右と左が現れている。

振り子は何度も中央を通った。

中央は一度も、右にも左にもならなかった。

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この記事を書いた人

パラトゥリクス管理人。真理探究、悟り、意識について書いています。

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