これまでこの世界には、たくさんの霊性教師、グル、聖者たちが現れてきました。
現代にも、霊性プロセスを促すための教師たちがいることでしょう。
しかし彼らは、ときに矛盾したように見える表現をします。
あなたも、こんな言葉に出会ったことがあるかもしれません。
- あなたはすでにそれだ
- あなたはそれである
- 探しているものが、探されているものだ
しかしまた、こうも言われます。
- 悟りには段階がある。だんだんと深まっていく
- 何度も何度も、それに会いに行かなくてはならない
- 時間をかけて成熟し、時間をかけて錯覚を取り除く
さらには、同じ人物が両方を語ることすらあります。
今回は、なぜ「悟りには段階がある」のに、同時に「あなたはすでにそれだ」と言われるのか。
この矛盾のように見える現象を説明します。
なぜなら、人によってはこうなるからです。
「え、それならもう今のままで良くない?」
「なんで理解を深める必要があるの?」
「修行してもしなくても同じじゃない?」
「ただ起きてるだけなんでしょ。はいゴール!」
こうなると、確実にどこかでつまずきます。
まず、仏教では悟りには「頓悟」(とんご)と「漸悟」(ぜんご)があると言われています。
多くの宗教や伝統でも、段階的に理解を深めていくプロセスを提示します。
その方が、エゴの勘違いや混乱による落とし穴を避けられるからです。
しかし禅やアドヴァイタ、非二元では、こう言われることがあります。
あなたはすでにそれだ
あなたは最初から完璧だ
あなたは何もする必要はない
探す必要はない。最初からゴールだからだ
では、この違いはなにか。
頓悟は、一足飛びに悟るアプローチです。
「すでにそれだ」を理解したなら、その瞬間が達成でもある。漸悟は、ゆっくり深まるプロセス。
山を登るように、一歩ずつ成熟させていくもの。
では、なぜ同じ悟りを指しているのに矛盾が出るのか?
結論を言えばこうなります。
悟りは確かに「すでにある」。
本来の意識そのもののあなたは、すでにそれです。
しかし、エゴという錯覚がその光を遮る。
個としての自己、思い込み、反応パターン、潜在意識。
これらが雲となり、太陽である“本来のあなた”を隠す。
だから「ゴールはすでにある」のに、
「そこへ戻るには時間がかかる」
という矛盾が生まれる。
そして、同一化の解除にはどうしても時間がかかる。
丁寧に解いたほうが安全という側面もある。
さらにもうひとつ。
悟りには、
存在 意識 気づき
この本来の自己を悟る段階があり、
よほど過去世レベルで成熟していなければ、
瞬時に悟り、なおかつ“安定させる”のは難しい。
だから多くの人は、漸進的に深めて成熟させていく必要がある。
そしてもう一段階。
純粋意識を悟ったあと、
さらに絶対へ、超越へと向かうプロセスがあります。
ここは“個人の努力”では届きません。
ここでは恩寵、グル、神々の力が働きます。
理由もなく突然跳躍するように見える。
だからこの部分は、頓悟のような形で現れます。
そのため霊性教師は、
頓悟と漸悟
両方を探求者の状態に合わせて使う。
雲が厚いときは「あなたはすでにそれだ」で雷を落とし、
深める段階に入ったときは「ゆっくりでいい」で支える。
矛盾に見えるけれど、
これはエゴを出し抜くための戦略であり、慈悲であり、そして恩寵の働きでもあります。
私は私で、頓悟と漸悟を行き来しながらプロセスが進んだし、
人に伝えるときも、まったく正反対の表現が自然に出てしまいます。
ある瞬間は「すでにそれだ」と言わざるを得ないし、
ある瞬間には「深めていく必要がある」と言わざるを得ない。
純粋意識を指すときは、段階的理解が必要になる。
絶対へ跳躍する段階では「すでにそれだ」という言葉が鍵になる。
これらすべてが、神、そして恩寵の働きです。


