不滅の意識

閉館を告げるベルが、何度か鳴った。

窓の外は、ずいぶん暗くなっていた。館内にいた人たちが本を閉じ始めた。

読みかけの沈黙。

伏せられた本はどれも、まだ誰かの途中を抱えたまま、机の上に置かれていた。

出口へ向かうと、扉の前には返却カウンターがあり、そこで私は呼び止められた。

「お借りになったものを、すべて返してください」

私は両手を見せた。

「ごらんのとおり私は、何も持っていません」

返却係は、しばらく私を黙って見ていた。まるで、私が何を借りているのか、私だけが知らないみたいだった。

「では、まず身体から」

私は、腕を上げて自分の身体を見た。手、足、胸の奥で続いている鼓動。呼吸をするたびに肺が膨らみ、古い傷や、たまに痛む場所もある。

「いや、これは、私のです」

そう言うと、返却係は首を横に振った。

「いいえ、それは貸し出されたものです」

「誰に」

返却係は、私の身体ではなく、私の顔を見ていた。

「それは、あなたに知られています」

知られている?たしかに、身体の重さ、呼吸、たまに出る痛み、老いていく感じもある。だが、それら自体がそのことを知っているわけではなかった。それらはすべて見られている側にあった。

私は、身体をカウンターへ置いた。

カウンターに置いた瞬間、身体の重さが、ほんの少し遠くなったような気がした。

思っていたほどの恐れは起きなかった。身体は消えなかったからだ。

ただ、私の所有物ではなくなった。

それでも身体は身体として、さっきと同じように静かに呼吸を続けていた。

返却のはじまり

次に、私は感覚を返した。

熱さや冷たさ、快さや不快さ、胸の詰まり、腹の奥の圧。どれも時々現れて、ときにはとても驚異に感じる。

そして、これが自分そのものだと思うほど近かった。だが、それらは、来て、変わり、やがて去っていく。

私は、感覚を感覚へ。痛みを痛みへ。呼吸を呼吸へ返した。

奇妙だった。これまで長い間どうにかしようと戦っていた感覚たち。返却は拍子抜けするほどあっというまだった。

それは破壊ではなかった。

ただ、それぞれを、それぞれの場所へ戻すだけだった。

次に、私は思考を返した。

こうするべきだ。あれは間違っている。私は傷つけられた。正しい。足りない。理解した。

そうした言葉が勝手に現れる。そのあとで、「私が考えた」という声が追いかけてくる。

私は、思考を思考へ返した。そして判断を判断へ返した。

「私が考えている」というその声も、その声が現れた場所へ返した。

私は石像のように無思考になると思っていた。それは全然そうではなかった。

なぜなら、それでも、思考は起きていたからだ。判断も起きていた。

ただ、それを私の所有物として抱え込む感じが、極端に薄くなった。

返却係は、私を指さした。

その指は、しばらく私に向けられたままだった。

どれくらいの時間が経ったのだろう。やがて返却係は、指の形も腕も伸ばしたまま、その場でゆっくりと身体を回した。足音はまったくしなかった。

私を指していた指先は、いつのまにかカウンターの上を指していた。そこには、古い写真が積まれていた。

よく見ると、それはこれまでの私に関するシーンだった。

よく覚えているものも、まったく覚えていないものもあった。

子どもの頃の私、人に褒められている私がいた。拒絶された私がいて、愛された私がいた。

恐ろしい写真もあった。あの夜に見捨てられたまま動けなくなっている私だった。

でも成功した私も、嬉しそうに笑ってる私もいる。

それらは、たしかに私の記憶だった。

私は無言で次々と写真に触れ、大量の記憶を取り戻した。

すると、だんだんとある事実が浮かび上がる。いま現れているこれらの記憶は、過去そのものではなかった。それは、過去の形をした、現在の像だった。

私は後ろを振り返る。返却係は無言で頷く。

私は、写真を一枚ずつ返した。傷ついた私の記憶を記憶へ返し、愛された私の記憶を記憶へ返し、

忘れられない出来事を出来事へ返した。私の物語を、物語へ返した。

最後に、一枚だけ残った。

その一枚だけ変だった。そこには何も写っていなかった。

裏返すと、小さく「私」とだけ書かれていた。

私は少し迷って、それも返した。

私の記憶も、「私」という記憶も返した。

写真がなくなっても、何かが残っていた。

だが、それを急いで「本当の私」と呼ぶことはしなかった。

返却はまだ終わっていなかったからだ。

行為をした者

「お疲れ様でした。では次は、行為者を返してください」

その言葉に、困惑した。身体や記憶なら知ることができる、写真も物理的に置ける。

だが、行為者とは一体どこにいるのだろう。

街を歩き、人と会ったり電車にも乗る、その行為者。たくさん喋ったりときに無口になったり、ある瞬間やるべき何かを決断するその行為者とはなんだろう。

行為とはたしかに継続的に起きている。呼吸だって食べたものの消化だって行為といえば行為だ。

私はこれまで良い行為とされることをした時は誇りに思ったり、悪い行為とされることをした、そのあとは自己嫌悪に陥ったものだった。

なにかしらの行為をする。そのすぐあとに、「私がした」という感覚が現れる。

では、その私は、行為が起きる前にどこで指示を出していたのだろうか。

私は、決めた。

いや、そうする動作が始まっていた。

行為を行為へ返した。選択を選択へ、良い行為を良い行為へ、失敗の行為を失敗の行為へ返した。

「私がした」という肩書きを、行為のあとに貼りつけることをやめた後でも、あらゆる動作は続いていた。

手も足も自然に動いていた。

探究者の鞄

返却係がカウンターの下へ手を伸ばすと、古い鞄が出てきた。

中には、瞑想の記録、祈りの言葉、理解したこと、理解できなかったこと、一瞥、神秘体験、静寂、至福、挫折、途方に暮れながらも、もう一度やり直した日々が入っていた。

私は、その鞄をとても大切にしていた。これがなければ、今の私はいない。そう思われた。ただ、瞑想している私も知られている。悟りを求めている私、何かを理解した私も知られている。達成した私も、迷っている私も、現れては変化するものだ。

このような探究には始まりがあった。始まりがあるなら、終わりもある。

私は、瞑想を瞑想へ返した。修行も、明け渡しも、哲学も、その言葉が生まれた場所へ戻していった。悟りと呼んでいたものも、聖なる知識も、迷いも、俗なるものも、ひとつずつ鞄の中へ返した。

だが、その探究者は最後まで抵抗した。

「私がいなくなったら、誰が真理へ到達するのですか」

返却係は答えなかった。

鞄の中が、急に静かになった。

探究者も、鞄の中へ入っていった。

地図

返却係は、カウンターの脇へ歩いていった。

壁と棚のあいだに、細い影が一本あった。

返却係がそこへ指を添えると、影の奥行きだけが濃くなった。

中は小さな部屋だった。

図書館の内側にも外側にも数えられていない場所だった。

壁には、丸められた地図や、古い帳面のように折りたたまれた地図が並んでいた。

返却係は、そのうちの一枚の地図を抜き取り、中央の机に置いた。

そこには、無数の家や町、外側に国、さらに地球と宇宙が重なるように美しく描かれていた。

内側と外側、ここからあそこへ続く距離、過去から未来へ伸びる時間までが、薄い線になって指紋のように幾重にも折り込まれていた。あらゆる位置がそこにあった。

地図を見ている場所は、地図のどこにあるのだろう。

世界は知られている。時間も空間も知られている。内側と外側を分ける線も、あとから引かれている。

私は、地図を折りたたんだ。世界を世界へ返し、時間を時間へ返し、空間を空間へ返した。境界線を、境界線へ返した。それでも世界は消えなかった。

ただ、私が世界の中に閉じ込められている感じが、少し薄くなった。

否定ではなく、返却

古い教えでは、「これではない、これでもない」と、一つずつ識別していく道が語られてきた。

ネティ・ネティ。否定の道。

それは、身体を憎むことではなかったんだ。

感情を押し殺したり、思考と朝まで戦って、止めようとしたりする必要はなかったんだ。

そしてそれさえも、ただそれぞれが、それぞれとして世界の流れとして発生していたんだ。

世界は無価値だとニヒリズムに徹していた塊が、その時融けていくのを感じた。

これまでずっと戦ってきた。戦っているかぎり、戦う私が残る。否定とは、抵抗でも排除でもなかった。

それも、やはり返却だった。

身体を身体へ返し、感覚を感覚へ、思考を思考へ返していく。

記憶も、物語も、世界も、それぞれが現れた場所へ戻していく。

どれも消す必要はなかった。

ただ、「これは私のものだ」「これこそが私だ」と握っていた手を、少しずつ緩めていく。

返却されたものは、それぞれの場所で、そのまま在り続ける。

所有者だけが、少しずつ見つからなくなっていく。

残冊数 0

長い返却が終わった。

返却係が、「それでは──」と言って小さな紙を差し出した。

返却票だった。そこには、身体、感覚、思考、記憶、物語、行為者、探究者、世界、時間、空間、修行、悟り、すべて「返却済み」と書かれていた。

紙の一番下には、こうあった。

残冊数 0

私は、ほっとした。

これですべて終わった。

もう何も残っていない。私はゼロになった。

その瞬間、返却係が言った。

「まだです」

「これ以上一体何が残っているのですか」

返却係は、私の持っている返却票を指した。

「そのゼロを確認している方です」

最後の一冊

差し出されたものは、透明な一冊だった。

背表紙には「私は在る」とだけ書かれていた。

透明なのに、たしかに重さがあった。頁を開こうとしても、紙の境目が見つからない。

身体を対象として知っているもの。思考が現れたことに気づいているもの。世界を観照しているもの。静かで、透明で、変化しないように感じられるもの。

私は長いあいだ、それを、それこそが本当の自己だと思っていた。

純粋意識、観照者、気づき、ただ在ること。どれも、その透明な一冊の別名のようだった。

だが、「私は在る」という感覚が現れたことも知られていた。

静寂──静けさがあることも知られている。観ている感じも知られている。

気づいている私という微細な位置も、どこかに現れている。

現れているなら、それもまた対象なのだろうか。

「私は在る」も「永遠の自己」ではないというのか。

私は、その透明な一冊をじっと見た。

手放せば、もう何もなくなってしまうように思えた。

今度こそ、本当に何も残らない。

それでも私は、その一冊をカウンターへ置いた。

これは一大決心なのか。いや、これは逡巡の上での力強い決意というわけじゃない。

ただ、それを止める理由が何もなかっただけだ。

「私は在る」を、「私は在る」へ返した。

気づきを、気づきへ返した。観照者を、観照へ返した。

不変の意識さえ、それが現れた場所へ返した。

返している私

返却票は、もう手元になかった。

ゼロという数字も消えていた。

すべてを返し終えた。そう知っている者さえ、どこにも見つからない。

最後に返すのは、すべてを返し終えたと知っている、この者だった。

だが、その者を、誰が返すというのだろう。

返却する者が、それ自身をカウンターへ置くことはできない。

置こうとする動きも、置いたと確認する認識も、まだその者の中で起きるからだ。

私は、返却係を見た。

「どうすればいいのですか」

返却係はいなかった。カウンターもなかった。

図書館もなかった。閉館のベルも鳴っていなかった。

身体を返した者も、世界を返した者も、「私は在る」を手放した者も、

どこにもいなかった。

知られないもの

それを、無と呼ぶことはできなかった。

無だと知る者が必要になるからだ。

有とも呼べなかった。

存在していると確認する者が必要になるからだ。

一でも、二でもない。意識でも、意識以前でも非二元でもない。

絶対や超越という名さえ、もう遅れている。

私は何も知らない。

だが、その言葉には、まだ「私」が残る。

私は何も知らないということさえ、私は知らない。そこでは、知らないという状態すら成立しない。

何かが残ったとも言えなかった。残ったものを確認する者がいないから。

だが、何も残らなかったとも言えない。失われたことを知る者がいないから。

それは、誰にも知られることのないまま、それ自身だった。

知る者もなく、知られるものもなく、それでも失われることがない、それだった。

開館

朝が来た。図書館の扉が開き、人々が入ってきた。

人々は身体を借り、名前を受け取り、記憶を開いていく。

世界という大きな本は、また誰かの手の中で読み始められていた。

時間が動き、思考が現れ、愛することも、傷つくことも、探すことも、祈ること、求めることも起きていく。

そして、「私は在る」という透明な一冊も、また貸し出される。物語は始まる。

貸出票の一番上には、誰の名前も書かれていない。

借り手は、最初から見つからない。

それでも本は開かれ、頁はめくられていく。

私は、その光景を見ているのだろうか。

そう考えた瞬間、「見ている私」という一冊が、静かに返却口へ落ちた。

閉館を告げるベルが鳴った。

いや。

ベルが鳴るよりも前。図書館が現れるよりも前。

不滅の意識が、自分を不滅だと知るよりも前。

それは、自分が何であるのかを、永遠に知らなかった。

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この記事を書いた人

パラトゥリクス管理人。

真理探究、非二元、真我、絶対、明け渡しについて、言葉になったものを置いています。

個人の記録であり、個人を超えたものへの祈りでもあります。