何かを失う。
それは人かもしれない。
場所かもしれない。
これまで自分を支えていた未来への希望かもしれない。
失った直後は、そのことだけで頭がいっぱいになる。どうすれば戻せるのか。何が間違っていたのか。一体この苦しみは、いつ終わるのか。考えても考えても全然答えが出ないこともある。
そんな苦悶の中ゲームをする人もいる。少しのあいだ現実を忘れられるから。
私もゲームをすることがある。
ゲームの世界は親切だ
ゲームの世界は現実より親切だと思うことがある。
次に行くべき町があるし集めるべき仲間がいるからだ。武器を手に入れ、その武器を使って倒す敵もちゃんと決まっていて何をすれば先へ進めるのかだいたい決まっている。なにより目的が途切れない。
しかし、現実では何が正解だったのか、結局最後まで分からないこともある。
でも、時間は無慈悲に進み生活は続いてゆく。どんな歪な形であっても少しずつ別の形を取り戻していく。
時間が経てば、どんなことも、ある程度回復するものだ。確かにいつかぐっすり眠れるようになるし腹が空けばやはり食べる。人と触れ合えば、本音で語りあえれば笑うことだって増える。
あぁ、もう大丈夫なのかもしれない。
けど、何かがモヤモヤと残っている。
願いが叶ったあと
なにかを得る。
欲しかったものを手に入れ、ずっと胸の奥で望んでいたことが叶うと自分を苦しめていた問題も消える。
その瞬間はたしかに嬉しいし世界が少し明るくなる。
けど、やがてその明るさにも目は慣れてしまう。それは新しいひとつの日常になってしまうからだ。そして、次の願いが生まれる。
もう少し。あと少し。ここまで来たのだからその先も。自分が不幸なとき幸福そうな誰かがとくに目に入るのはなぜだろう。
あの人のようになれたら。あの人より幸福になれたら。
そして、実際にその人より多くのものを手に入れたとしてもなぜだか話は終わらないのはなぜだろう。
自分が満たされているとき、きっと世界のどこかで誰かは泣いている。
自分が泣いているとき、誰かは幸福そうに笑っているはず。
全員が幸福になればいいのだろうか。戦争や病気がなくなり誰も何も失わず、
すべての願いが叶い続け、世界も、人生も、完全に、完璧に平和になれば。
そのとき、ようやく終わるのだろうか。
世界が救われたあと
そんなことを考えると、私は、RPGゲームでラスボスを倒したあとのあの感じを思い出す。
長い時間をかけて仲間を集め強い武器を揃え、何度も負けてレベルを上げ続け、ようやく最後の場所へたどり着き、
ラスボスを倒す。
世界は救われ、音楽が流れて祝福の鐘が何度も鳴る。
私と仲間たちの物語が晴れて終わる。もう倒すべき敵も次に行かなくちゃいけない町も新しいミッションも使命もない。もう誰一人何も困っていない。
しかし、あれほど終わらせたかったのに終わった途端、
なぜだろう。少し虚しくなる。
世界は救われた。だが、もうやることがない。まったく。
もし現実の世界でも、奇跡が起きてすべての問題が解決して、誰も苦しまず誰も何も失わず、全員が幸福、あるいは全員が不幸じゃなくなったなら。それは、ラスボスを倒したあとの世界に少し似ているのかもしれない、とそんな思いがよぎる。
すべてが完成してしまっては物語が続かない。
では、物語とは不完成、不完全でなければ成立しないのか。私たちは幸福を求めているだけではなく、求めることによって物語を続けているのだろうか。
失い探し手に入れ、またすぐに次を探す。一つのミッションが終われば、次のミッションを探す。
まるで終わりたいと思いながら、終わってしまうことをどこかで恐れているかのように。
消えなかったもの
なにかを喪失した。
その穴がなくなれば、喪失感は消えると思っていた。あの願いがようやく叶えば穴は埋まる。そのはずだった。
誰かより幸福になれば。問題が解決すれば。けどその先を想像するたび、ラスボスを倒したあとの画面を思い出す。
みな救われている。それなのに、何かが残っている。
誰も彼もが勇者さまバンザイと祝福してくれる。これ以上もっと幸福になりたい、ではなく。
もっと正しく生きたいでもなく。もっと単純で逃げ場のない矛盾した言葉。
次のラスボスが欲しい。
本当のことが知りたい
何度もゲームのソフトを変えた。何度も各ゲームのラスボスを倒し世界の平和と人々の平和を見た。
ところで、何なのか。
ところで、私はなぜ、ここにいるのか。この物語を生きているこの「私」とは一体全体何なのか。
私は、何か特別な知識が欲しいとか、誰かより深い人間になりたいわけでもなく、ただ、嘘ではないものに触れたい。その感覚は喪失によって生まれたのではなかった。
願いが叶わなかったからってわけでもない。なぜならそれは幸福の中にも実はずっとあったからだ。
不幸の中にもあった。誰かを羨んでいるときにも仲間を増やしているときにも、敵と戦っているときにも、ずっと、何かが内側から呼んでいた。いや、物心ついた頃からだ。
ただ、休みなく訪れる問題や、願いや、次のやらなくちゃいけないミッションに夢中だった。
聞こえていなかったわけじゃなかった。聞こえないふりをしていたんだ。
恩寵という名前
自分を守り、満たすこと。それは、個人として自然な動きだし何もおかしいことじゃない。
だが、本当のことが知りたいという衝動は、この人物をさらに幸福な主人公へ育てようとしているものではなかった。
これは、主人公そのものへ「問い」を向けている。
自分を守ろうとしている個人の中に、なぜ個人そのものを疑う問いが生まれるのだろう。
この奇妙な反転は、だからこそ不思議なんだ。不可思議な恩寵だ。
願いや問題の音に埋もれても、消えなかった。静かになるたび、また聞こえてきた。
見捨てないでいてくれた、恩寵。
扉を叩く音
ある日、エンドロールが流れる。世界は救われた。
もう倒すべき敵はいない。次のミッションももう表示されない。
音楽が終わって部屋が静かになる。
そのとき、物語のどこにも書かれていなかった言葉が鳴る。
「本当のことが知りたい」
それは、物語の外から聞こえたのか。私の内側から聞こえたのか分からない。
ただ、音楽が終わったあとも、扉を叩く音だけがずっと響いている。


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