真理探求した結果の話

意識以前・絶対・超越

質問:真理探求を終えると、どんな結果になり一体何が変わるのか?

さて、よく聞かれること、また探求者が気になる箇所はここだと思う。
私たちの多くは日常の中で、真理や悟り、目覚め、真理実現etc・・
ほとんどこのようなワードは耳にしないだろう。
私も街のカフェでこのような会話を耳にしたことは一度もない。それっぽいスピ系の会話があっても、だいたい、守護霊、先祖のお墓参り、運気を上げる方法、占い、占星術などなど(さみしいぐらいにw)
瞑想の話、エゴとはなにか?意識についての考察論。こういった話はまるで人前でしてはいけないタブー事項か、あるいはそういう話に関心のある人が極端に少ないかどちらかなのだろうね。笑

とはいえ、それでも、無意識下では誰もがこれは絵空事ではなく、実際に起きうることで、また聖人君子でなく一般の個人に起きる可能性があることを、実は私たちは強く関心を持っていてそのことを知っているのである。

真理探求は、完全にそれが終わると変化するのかの答えはイエスでもありノーでもある。

イエスの部分はまず、「絶対」の立場の私からするとあらゆること、つまり個人が生まれこれまで人生で起きていた様々なこと、つまり様々な心の動きは自体が一切ただの一度も「起きていなかった」ことが明らかになる。
そのため、個人の私、表面的なエゴが完全にこの夢の世界の流れに溶け込んでしまう。これが、エゴの消滅と言われている現象である

彼はもはや表面的夢の世界に溶け、もはや世界そのもの、夢そのものの全体性の大海の中に溶けてしまったのである。
さて、もちろん「絶対」である私は夢なんて知らないし、世界って一体何のこと?という立場である。
つまり、これを今まさに文章化し、言語的表現をここに記しているのは誰か?

答えは世界であり、夢の流れがこれを起こしているのである。身体が動き、表面的に想念がわいては書きこむことがたただ起きているのである。では、良青がこれを書いているんじゃないの?じゃあそれはエゴを通してやっているんじゃないの?とあなたは思うかもしれない。これもイエスと同時にノーなのだ。
なぜなら、表面的にはそうみえるし、そう説明するしかこの二元世界の枠組みでは、会話が成立しない。
なのでそれは、そうと見えて当然なのだが、実際には全体意識の流れの起こりであり、エゴはまったく真相的には存在しない蜃気楼的な概念なのである。
そのため、「絶対」「超越」に、「私」が溶けた場合、もはや変化を説明できるエゴは世界のただ起きている流れと一体化してしまうのである。なので、エゴが「私は真理実現を終えて◯◯という変化が起きました」と発言は本来はズレているのである。それは探求者のために慈悲的な方便で表現しているか、もしくは変化したエゴとして、エゴが発言しているだけだということなのである。笑

ではそれを踏まえて、真理探求を終えると、どんな結果になり一体何が変わるのか?

つまり、真理探求を終えると、どんな結果になり一体何が変わるのか?
この答えは、すでに絶対である私は、時空を超えてずっとそれなのであるから、
それは一切の変化が起きない領域のままなのである。

エゴはそれを思い出し、偽りの私をそれに溶かされることを許していく、このプロセスの過程では、確かに個の精神状態や、行為、精神的傾向、などに変化が起きることは普通にある。彼、もしくは彼女はどんどんクリアになり、神々しくなるだろう。しかし、最終最後には個人は完全に海そのものに消えてしまうのである。
映画「グランブルー」の主人公のように。(これは素晴らしい霊的啓示のある映画だから興味のある人はぜひ観てみてね)

というわけで、その質問の答え、シンプルに結論を書くと、
真理探求を終えると、「原因と結果」、また「始まり・継続・終わり」というという時空領域を超越し、
あらゆるそれらが全く起きていない、対の存在しない絶対の領域の私として、在るさえ超えて、在るのである。
つまり、このような質問に対して絶対が答えるなら、「沈黙」さえも超えた「沈黙」を表現するだけである。
OM

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