私が生まれる前にあったもの
あなたは、いつから始まりましたか。
このことを、覚えていますか。
あなたは本来、完全で満たされた、完璧な存在でした。
こう聞くと、あなたは反射的に「完璧な自分の姿」をイメージしてしまうかもしれません。
けれど、そうではありません。そのあなたは、決してイメージできません。
だからこそ、そこでは、すべての苦しみも不幸も消え失せているのです。
なぜなら、そのあなたには、まったく何の動きもないからです。
そう。あなたはかつて、不動で不滅の何かでした。
それは、古くから、「真我、純粋意識、本当のわたし」などとして語られてきました。
本来のあなたは、どのような存在だったのか
今のあなたには名前があり、姿があり形があるでしょう。
あなたは身体、肉体だから。
しかし、意識のあなた。名前も形もない「それ」として在るあなた。
そのあなたには名前も、かたちも、始まりも終わりもありません。
ただ「それ」として在り続けているのです。
それとして静かに、極限にまで澄みきった至福に満ちていた。
けれど、ある時、微かな揺らぎが起こりました。
そして、あなたであるそれを、二つに分けたのです。
それが、「個人としての私」のはじまりでした。
そして、それこそが「この世界」のはじまりでもありました。
あなたは、ただひとつの何かでした。二つではなく、ただひとつの。
もう一度言います。
原初のあなた。
本来のあなたには、境界も、制限も、束縛も、変化も、無縁でした。
始まりも終わりも知らない、不変で不滅の偉大な何かだったのです。
そこには、まだ世界も私もなかった
そこには、まだ「私」と呼ぶものも、呼ばれるものもありませんでした。
この宇宙も、この三次元の世界も、まだありませんでした。
主体も対象もなく、観測者と観測対象の区別もなかったのです。
なぜなら、そこには時間もなく、空間もなく、位置感覚もなかったからです。
ただ、それとして在った。
ただ、それとして、在ったのです。
ただ「ある」だけの静かな至福
それが、あなたでした。
それが、私でした。
もっと正確に言えば、真の立場として、今もなお、それがあなたであり、私なのです。
ただし、そこは「私」や「あなた」といった概念以前の領域です。
ですから、本当は一人称も二人称も成立しません。
ただ、ある。
それだけです。
はじまりの、はじまりに何が起きたのか
ある時、何かが始まりました。
音が鳴った。
小さく、「・」と。
さて、ここまで読んで、私は何の話をしているのかと思われたかもしれません。
勘の鋭いあなたなら、すでに気づいているでしょう。
そうです。
この話は、はじまりの、はじまりの話です。
そしてこれは、あなたが今回の人生において、悟り、覚醒、目覚めのプロセスを歩いていくうえで、とても大切な話でもあります。
なぜなら、あなたは肉体として生まれる以前にも、名前のない「 」として、ずっと、あなただったからです。
私は特定の宗教に所属していませんし、みなさんと同じように普通に社会生活を送っています。
ただ、いまここでお伝えしているのは、議論や理屈や知的な思索としての哲学だけの話ではありません。
これは、意識の話です。
と言っても、脳がどうとか、神経がどうとか、そういう科学的な説明だけを指しているのでもありません。
霊的な、霊性探究、真理探究の話です。
もちろん、いわゆる幽霊や怪異の話ではありません。
では、話を戻します。
神話、科学、聖典が語ってきたこと
私は、本当のあなたは純粋な意識だとお伝えしました。
けれど、ある時、そこで何かが起きてしまったのです。
神話ではこれを「創造」と呼びます。
科学では「ビッグバン」と名づけました。
また聖典は、それを「ロゴス」「振動」「言葉」として語ってきました。
しかし本質的には、それは爆発でも創造でもありませんでした。
ただ、分離の最初の揺らぎだったのです。
分離の最初の揺らぎ
あなたは、突然、意識として世界を放出しました。
何もない「 」から、世界が現れた。
けれどそれは、意図された創造ではありませんでした。
計画も目的もなく、誰かが決断したわけでもなかったのです。
神が創造したのではないか。
そう思うかもしれません。
それは、ある意味では正しいのですが、ある意味ではそうとも言いきれません。
忘れてしまったのだろうか。
もともとあなたは、時間や空間以前に在ったのです。
それは誰かの意思ではなかった
神でさえ、限りなく偉大ではあっても、時空という領域の中で語られる存在です。
では、なぜ起こったのか。
それは、もちろんあなたの選択でもありませんでした。
ただ、起こったのです。
真空が完全な無ではなく、必ず微細な揺らぎを孕むように、完全性もまた、沈黙のままではいなかった。
世界が生まれる前の意識の風景
この世界が起こった最初の瞬間、あなたはちょうど、深い熟睡の底から、少しずつ心が動き出していく、その微細な気配を感じたはずです。
まだ見る者も見られるものもなかった
そのとき、意識としてのあなたは、ただ在りました。
あなたの中に映像が現れていたとしても、それを認識する者や、見る主体は、まだ存在していませんでした。
そこには、分離はまだ成立していなかったのです。
全体と主体と対象と呼べるような区切りもなかった。
見る者も、見られるものもなかった。
内と外も、上と下も、身体も心も、まだ分かれてはいませんでした。
すべてが無条件に許されていた
それは、存在そのものの愛で満たされていました。
あなたの中では、すべてが許されていた。
すべてが無条件でした。
すべてが自由に、自らを自らと意識することもなく、ただ表現され、ただ動いていたのです。
その在り方に、誰も何の疑いも持っていませんでした。
存在そのものが歓びだった
自らが在るという事実そのものが、強烈な歓びであり、祝福であり、光でした。
その奇跡のような在り方に、あなたは深い興味を覚えたのです。
その記憶を、あなたは忘れてしまったのだろうか
ここから先は、さらに深く「私」がどのように立ち上がっていったのか。
なぜ、分離が加速していったのか。
その話に入っていきます。
(次に続く・・)
