恩寵たちが指し示したもの
さて、この世界には大きく分けて「眠る方向」と「目覚める方向」という二つの流れがあり、その間には両方が混在したものもあります。
こうした流れは、具体的には、出来事、運動、表現、現象、作品、メッセージ、指し示し、エネルギーなど、様々な形で現れます。
1.「目覚め」へ向かうものは、その人の余計な同一化や思い込みがほどけ、本来の自分へ近づく方向に働くもの。
2.「目覚め」と「眠り」が混在するものは、目覚めを促す要素を持ちながら、同時に新しい同一化や思い込みを生むこともあるもの。
3.「眠り」へ向かうものは、その人をさらに物語や同一化へ巻き込み、握りを強める方向に働くもの。
もちろん、同じ言葉や人物や作品でも、誰にとっても同じように働くとは限りません。その人の時期やタイミングによって、受け取り方や解釈、響き方は変わると思っています。
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私個人の流れを振り返ると、探究が始まった当初、右も左も何も分からない状態でした。笑
「それ」が欲しいという意欲、情熱だけはメラメラと燃えているけど一体何をすればいいの?何を学べばいいの?方法は?
てか、自分は情報に対して「それが自分にとって良いのか悪いのか」それすらも分からないという状態でした。
変な話、当時の私の前に聖なる何かが現れて、「私に近づきなさい」と言ったとします。
その一方で、眠りを促すようなものが、その聖なるものを指して「そこから離れなさい」と言ったとします。
当時の私は、どちらが「目覚め」の方向なのかさえ見分けがつかなかったんです。
それから、たとえ良い言葉に出会ったとしても、それをどう受け取って、どう自分の中に取り入れればいいのかさえ分からなかった。
だから当然、何度もグルグルし、苦い時間を何度も経験しました。
今の時代、確かに調べればいくらでも情報は出てきます。
しかし、それが自分の目覚めを深められるかどうかの判断は、正直「自由にどうぞ」と言われても、逆に選択肢がありすぎて迷ってしまうこともしばしば。
なので、この「鑑賞・人物」のカテゴリーは、あくまで私個人の探究においてですが、後から振り返って、あの人物、あの本、あの作品、あの現象によって「目覚めの方向へ飛躍した」もしくは「励まされた」「糧になった」と思えるものを置いていこうと思って作りました。
ちなみに私の立ち位置としましては、人生で特定の宗教に入ったこともなく、特定の思想体系だけを良しとすることもなく、この人生で目覚められるのだったら「役立つものは広い心で学ぼう、吸収しよう、励みにしよう」というタイプでした。
むしろ、あらゆる宗教や思想が指し示している「共通項、ポイントそのもの」を見出していこう。そして、そういうもの自体を楽しんでいこう、というのがパラトゥリクスの基本的な態度です。
そのためこのカテゴリーではひとつの宗教や思想や人物だけじゃなく、もっと一般的な映画や作品や本などでも「目覚めのエッセンス」があるならば、ジャンル関係なく紹介していこうというコーナーです。
聖者の話を熱く語る時もあれば、漫画に対して熱く語るなんてこともあるかもしれません。笑
しつこいようですが、むろんこれらはあくまで私が個人的に感銘や感動したものですし、解釈や受け取り方も、あくまで私自身の個性を通したものです。だから当然合う合わないの個人差は出ると思います。
とはいえ、恩寵という言葉もそうですが、この世にはちゃんと「目覚めを促す」方向の流れが消えずに存在している、という希望にもつながればいいなと思います。
人物に目を向けても、人類の長い歴史の中には、時代も文化も言葉も違いながら、同じ方向を指し示してきた存在たちが確かにいました。ある者は沈黙で語り、ある者は「私は在る」を指し示し、ある者は空性を説き続け、ある者は涙を流しながら神への明け渡しを説く。タオを語る者、ひたすら無を突きつける者、有の固定観念を揺さぶり、高らかに笑う者などといった恩寵たち。
そういう意味で、本や映画や漫画、ある出来事や現象の中にも、同じように目覚めの方向へ背中を押すものがあるならば、それらは形を変えて現れた「恩寵たち」と言ってもいいのかもしれません。
さまざまな個性や表現を参考にしながら紹介し、その奥で指し示されている共通のものを浮かび上がらせられたら良いなと思っています。
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ただ、いくら私が「探究中の自分にもう一度会えるなら、とりあえずこれを渡す」と思うものたちとはいえ、
・・期待しちゃダメですよ。
まあ、そう言われると余計に気になるでしょうけど。笑


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