かぐや姫が地上へ来た理由
ここで天人から、かぐや姫が地上へ来た理由が語られる。
翁がわずかな功徳を積んだため、その助けとしてかぐや姫が降ろされ、黄金も与えられたという。
この部分は、高徳だと黄金がもらえて裕福になるという話としては私は読まない。
ここは「徳と真理の接点」として読む。つまり、徳が多いところには真理に触れる機会が生まれやすく、徳が薄くなれば、真理に触れる機会そのものが減っていってしまうという話だ。
しかし、翁は天人にそう言われても訳がわからない。とにかくかぐや姫を連れて行かれないように必死に立ち向かう。
そこで、天人の王は翁に対して「幼き者よ」と呼ぶ。
ここが面白い。翁はすでに老人であるどころか、かぐや姫との別れを知って急激に老いてしまったばかりだ。地上での物差しは、肉体の齢によって、幼い、老いていると見る。だが、天の者から見ればこの老人である翁が「幼き者」なのである。
容赦ない。笑
この「幼さ」は肉体の齢ではなく、地上への執着、マインドとの結びつき、自我との同一化の強さとして見る。その握りが強ければ、肉体がどれだけ老いていても天人からすれば幼き者というわけである。
しかも翁は、あろうことか月へ還る直前のかぐや姫を、必死に地の方へ引き留めようとしている。
真我実現まであと一歩という、全宇宙の祝福のような瞬間であるその最後の一歩を、この幼き者は自分の執着によって阻止しようとしているわけだ。
そりゃ当然「何してるねん!!」という話だろう。
最初の同一化
そして、かぐや姫は罪を犯したため地上へ降ろされたとも語られる。
この「罪」は一般的な意味の罪とは違う。
ここでの罪の意味は「本来の位置から外れること」である。
本性である意識以前から意識が生じ、不二から二元の幻想が生じたこと自体のことだ。
つまり「かぐや姫が犯した罪」は正確な表現ではない。我である月そのものは、最初から何も知らないし、何もしていない。そこから「私」という意識が現れ、その「私」が地上のかぐや姫と結びついた。
その最初の同一化こそが、本来の位置から外れることだったのだ。
穢き所
月の者たちは地上を「穢き所(きたなきところ)」と呼ぶ。
ここもかなり強烈である。地上に住んでいる者からすれば、ここには美しいものだってあるだろう!と言いたくなるだろう。
体験、成長、興味、好奇心、創造、愛、友情、家族、無数の美や楽しさがある。
それでも月の者から見るとここは「穢き所」である。
私はこれを善悪の話として読みたくない。
真我の側から二元を見ると、そこには分離があり、時間があり、争いや上下、大小、思い通りにならないこと、そして生老病死がある。月にはなかったものがすべてある。
だから地上は重い。
天人が来ると閉じていた戸も格子も勝手に開いていく。
翁たちが必死になってどれだけ守っても無駄である。
真理の前では、地上で作った「壁」が意味を失う。
最後の執着
さて、当のかぐや姫はどうだろう。
彼女は地上を捨てきれていない。
翁と嫗を思い悲しみ、着ていた衣を形見として残す。
月の者から見れば、ここは「穢き所」であり、そこへ執着する翁は「幼き者」なのかもしれないが、かぐや姫には思い出がある。翁と嫗や人々を愛している。ここで長い時間を過ごした。良い記憶も悪い記憶もどれだけたくさんあることだろう。
ここに彼女の最後の同一化がある。自分は月の者だと知っている、そしてようやく迎えまで来た。それでも心は地上に残っている。
私はここを非常に自然だと思う。
真理を知ったからといって、その瞬間に地上への愛着が消えるわけではないのだ。
最後まで人間は人間らしい。
不死の薬と天の羽衣
天人は、天の羽衣と不死の薬を持ってくる。
不死の薬。アムリタ。不死の甘露である。
そして天の羽衣。羽衣を着れば心が変わる。
心の深いところに残っていた地上の「私」まで消えていく。
かぐや姫自身が一番そのことを知っている。
だから「待って」と言う。
個人としての最終最後の時間。
かぐや姫という地上人格が、最後に言葉を残す時間である。
完全に月へ還ってしまえば、それまで現実そのものだった地上が、はじめから夢だったことが明らかになってしまう。
だから羽衣を着る直前にかぐや姫は手紙を書く。
そして帝へ、不死の薬を残す。
さて、なぜ帝なのだろう。
彼は最初はかぐや姫を所有しようとし、力でねじ伏せようとしたかもしれない。
しかし、この地の者で、空を見せられた人物は帝だけだ。そしてそれでも彼は空に恐れて逃げ出さず、かぐや姫と関係を続けた。
かぐや姫を、いや、かぐや姫の中で輝く月である自己を愛した。
だから不死の薬は帝へ渡される。



コメント