スクスク成長したかぐや姫の続きを見てみよう。
かぐや姫の美しさの噂は広がり、男たちが殺到する。
まだ姿さえほとんど見ていないのに、人々は彼女を求める。
真理探究者の多くは、はじめは知ること、成長すること、体験や未知のものに惹かれて入り込んでいく。
しかし、段々真理が浸透するにつれて一つの葛藤が生まれる。
それは、真理が浸透するものを「地上の世界」は放っておかないということである。
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ここで前回の引力の話に戻りたい。
この世界には前提として引力、地上への吸引力がある。
私たちの多くは、望もうが望まなかろうが地上の引力の中で様々な体験に接触していくことになる。
地上の引力は誰に対しても同じ姿や体験として現れるとは限らない。むしろその人がもっとも強く結びつくことのできる形をとる場合が多い。
竹取の翁にはかぐや姫との暮らしや、黄金という形で地上との結びつきがさらに深まっていった。
では、かぐや姫や、彼女を求める男たちには、どのような姿で現れるのだろうか。
月の光と地上の愛
ここで面白いのは、「地上がかぐや姫を引きつける一方」で、「かぐや姫の側からも地上を引きつける、逆向きの引力」が起きていることである。
なぜかぐや姫は人々を惹きつけるのか。それは彼女の美しさや、容姿だけの話ではない。彼女の存在そのものが輝きの象徴であり、それは彼女が月の者だからである。そしてなぜ地上の者は月の者に惹かれるのか。地上の人々も元々は月の者だからだ。
しかし同じ月の者でも、自分は何者でどこから来たのかを「覚えている度合い」がまったく異なる。
かぐや姫自身もこの時点では月の記憶をはっきり保っているわけではなかった。
地上で成長し名前まで与えられ、今では一人の地の者として暮らしている。それでも深いところでは月の記憶も、月への愛も消えていない。私には、それが本人でさえわからない「輝き」として現れているように思う。
地上の人々には、その輝きがこの世のものらしからぬ何かとして感じられる。そして、それを人間の言葉に解釈し、置き換えれば「世にも美しい女性」ということになる。
だが、人々はその輝きに共鳴していても、それを「月への愛」として受け取ることはなかなかできない。地上ではこの場合「自分はあなたが欲しい」「あなたを自分のものにしたい」という二元的な愛へ変わっていく。もちろん男たちにはそんな自覚はない。
翁にとっては、結婚することはむしろ良いことだった。それぞれが地上では当然と思われている形へ、かぐや姫を引き込もうとする。
私はここを、「月」と「地上」の愛の価値観が、同じ愛という言葉の中ですれ違う最初の場面として見る。
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一方で、かぐや姫は男たちから求婚されてもそれほど心を動かされていない。
自分に惹かれた地上の人々がこれから何をするのかを、かぐや姫は次々と見せられることとなる。
ここから彼女の中に強くあった地上への好奇心は、少しずつ驚きへと姿を変えることになる。



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