瞑想の修練に夢中に取り組んでいた頃、私は思った。
純粋意識の状態にとどまることは、
「私は在る」と呼ばれている。
これは、実際に探究が始まってからすぐ知った言葉で、その後も何度も目にする言葉だった。
はじめ見たとき私には随分、奇妙な言葉に思えた。
おそらく翻訳の問題もあるのだろう。「私は存在」そりゃそうだろ。それで何なの?と思ったものだった。
でも、探究者としての時間が過ぎるにつれてこの言葉と向きあわざるを得なくなった。
その後、瞑想を通して個の私が直接「私は在る」を思い出すにつれて、この「私は在る」を知らずして自己探究がうまく機能することはとても難しいように思えた。
純粋意識。
それを知ることは、はじめ世界や人生という壮大な物語、アドベンチャーにおける娯楽であり、とてもいいリラクゼーションに感じられた。
それは、晴れの日も、雨の日も、風の日も、いつでもそばにある良き相棒でRPGゲームなんかでよくある、
疲れたらそこで休憩し、マインドの嵐を一旦リセットできる回復の泉のようでもあった。
また、映画鑑賞の途中の一時停止だった。
回復の泉や一時停止は、映画からの逃避じゃなく、映画とスクリーンは二面一体の現実なので、壮大なアドベンチャー自体を決して否定するものでもなかった。
むしろ、私の成功や喜びだけでなく、失敗も苦しみも、すべてが派生する前の状態だったので、
私が私として、唯一私らしく在れる場だった。
私は探究初期の頃、楽しくてしょうがなかった。またゲームの話になるけど、ゲームだってハマった初期の頃は楽しさが強い。
だから、「真理」「悟り」「探究」こういう話を友人や知人と話したい衝動に駆られたものだった。
でも、そうしようとしてみると、なぜか不思議にストップがかかった。
まるで、何かの力が「それを話すことは、刃物と同じで助かる道具になることもあれば、傷つけて血を流させることもある。だから、注意深く取り扱わないとダメだ」と引き留めるようでもあった。
それでも、私は子供時代に秘密基地を友達に教えるような感覚で、「純粋意識は素晴らしいんだよ」と、周りの知人や友人に、それとなく勧めたこともある。
それはシンプルにいいものだったから。
でもやはり、堂々とはできなかった。それとなくしかできなかったし、言葉えらびにもだいぶ慎重になった。
単純に引かれたくなかったという理由もある。
やはり、そういうテーマは興味ない人からしたら「怪しくて危険なもの」という印象なんだろう。
私が勧めたとき、「なにそれ、変わってるね」とか「興味ない」ならまだいい。
ところが、
「瞑想?足組んでぴょんぴょん跳ねたりするやつか?」
なんて言われた日には・・。
「オッケーなんでもない、忘れて」
結局秘密基地は、秘密基地だった。
でも、それによって「私は在る」の良さが変わるわけでもなかった。
誰かに理解されなくても、雨の日には雨の日のまま、風の日には風の日のままそこへ戻ることができた。何かに成功した私も、失敗した私も、誰かに認められた私も、怪しいと思われた私も、その泉から派生した一つの物語だった。
物語の中で疲れた時、一旦停止を押す。
水を飲む。風呂に入る。無音の音楽を鑑賞する。そしてまた、映画の続きを見る。
私にとって純粋意識は、そういう場所だった。
愛しい兄弟、姉妹。我々はときに想念の森に呑まれ毒素を抱える。それでも、たとえ母を知っていても知らなくても、我々と母はひとつだ。


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