悟りについて ② 熟睡中の空白のあなた

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私たちは毎晩「3つの意識状態」を経験している

さて、前回の話の続きです。

あなたも毎晩、知らないうちに世界を失っています。起きている時には、この日常と呼ばれる現実があり、眠ると夢の世界が現れ、さらに深く眠り、熟睡に至ると、その夢さえ消えてしまう。

そして朝になると、また何事もなかったかのように、この世界へ戻ってくる。

記憶システムが絶えず稼働して、物語の繋がりを確固なものにしていく。

上記のこの流れを分けると、次の3つになりますね。

・目覚めている状態
・夢を見ている状態
・夢も見ない熟睡の状態

この中で、「覚醒」と呼ばれているものを感覚的に理解してもらうために、注目すべきは「熟睡の状態」です。 

「熟睡」と「覚醒」真逆の言葉なのに、密接な関係があるのです。 

ちょっと面白いと思いませんか。言葉の表現がパラドックス(矛盾)しましたね。  

熟睡と覚醒のパラドックス 

個人にとって、「熟睡」とは文字どおり「眠っている」状態。 

しかし、真のあなた「“ 覚醒そのものの立場”としてのあなた」は熟睡時に、 

あらゆる夢から目覚めて存在している」と私は言いたいわけです。

なぜなら、あなたは毎晩眠りにつくと思いますが、  

あなたは熟睡中には、「空白」でした。「 何もなかった」はずです。 

時間も空間も人生や世界や、あらゆる物語が消えていた」・・ 
 なのに、なぜ「“ 私は寝ていた”」と、わかるのでしょうか?

少しだけ考えてみてください。  

・・

熟睡中。時間も空間も消えている

同じ睡眠時でも「熟睡状態」と「夢を見ているとき」とは質が違いますね。一般的には、夢を見やすい睡眠はレム睡眠と関係が深いと言われています。レム睡眠では、身体は休んでいても、脳の活動は比較的活発で、夢──つまり、映像や物語のような体験が起こりやすい状態です。夢の中には、景色があり、人物があり、出来事があり、時間の流れがある。
夢の中の主人公であるあなたは、どこかへ行ったり、誰かと話したり、怖がったり、喜んだりしています。つまり夢見の状態では、たとえそれが夢であっても、「主体」と「客体」のような相対的世界観が現れています。

一方で、夢も見ない深い熟睡では、そのような映像も物語もありません。

そこには、夢の中の私もいないし、世界もありません。
それどころか、時間や空間もさえもない。身体を意識している感覚もない。いわば、何も知らない、何も認識していない、完全な空白のような状態です。 

なぜ「私は寝ていた」と分かるのか

先ほどの質問に戻りますが、 

熟睡中、無我、無形、無意識、無認識──つまり何もかも消えていたたのにもかかわらず、目が覚めると、なぜあなたは“ 私は熟睡していた”と知っているのでしょうか。 

なぜ、個人が消えていても、「何かが続いている感じがずっとする」のでしょうか?通常、「私」とは、思考や感情、身体の認識によって成り立っているものだと考えられています。
ところが、熟睡中はそれらの認識がまったくなかった。 

なのに、「私は寝ていた」と知っている「私」がいます。 

この「在りながらも、何もない」状態こそが、悟りと深く関係しているのです。 

悟りの重要な入り口とは、この「あらゆる相対的価値観──主体や客体が無いのにもかかわらず“ ある”ともいえてしまう、パラドックス(矛盾)的な「純粋な存在」 

これの本質的なあなたを追求する道だからです。

「ただ在る」それが悟りの原点

悟りの状態とは、熟睡と同じように「ただ在る」この「純粋な意識」の状態を、
目覚めた状態のまま、“ それ自身”として、気づき続けている、ということです。 

ただ在る──普通、「在る」とか「存在」と聞くと、個人としての身体や、身体感覚としての存在感をイメージするかもしれないし、「存在」ってよりも「存在感」つまりオーラや、雰囲気や、影響力のようなもののイメージとして捉える人もいるでしょう。

しかし、ここでいう“ 存在”とは=“意識そのもの”のことを指しています。 

つまり、

  • 思考や感情の背後に、変わらず存在している何か
  • 覚醒、夢、熟睡、どの状態でも常に在り続けているもの
  • 肉体感覚のような物質的なものではなく、もっと微細で目に見えないほど繊細なもの 

 その「存在」つまり、「在る」という感覚こそが、個人ではない原初の、個人を超えた「真のあなた」です。

これを直接知り、気づき、体験していくことが、悟りの道、真理探究のプロセスで重要なのです。  

気づきや理解はゴールではなく始まり 

ただし、それを知ることはゴールではなく、霊性のプロセスの始まりです。

悟りの道やプロセスは情報や知識としての「頭の理解」で、それを知るのではなく、 

直接理解、直接知識、直接認識が鍵になります。

それで、次回は直接理解とは何かについて説明します。

そして、その直接理解を深めてゆき、安定して在り続ける状態が「覚醒を生きる」と呼ばれるものです。

まとめ

今回のポイントは、悟り、目覚めとは何か?の方向性を示した記事になります。誰もが毎晩経験している「熟睡」の中に、その本質のヒントがあるわけですね。

あなたは今もまさに最も身近な「それ」に触れています。 

真のあなたは「それ」自身として、今もまさに在るのです! 

あなたの内なる探究に、至福と恩寵が降り注ぎますように。

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