こういうことってありませんか。
昨日まで興味や関心がなかったものでも、誰かが熱心に求めていると知れば急に魅力的に見えたり、良いと思っていたものでも人がそれに関心を示さなくなるのを見れば、なんだか異質でつまらないものに思えてきたりとか。
ポイントは、それ自体は何ひとつ変わっていないのに、です。
じゃあこれって一体何が変わったのでしょうか。
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もし、あなたという存在や、人生は、かつて誰かの切望から生まれたものだと言われたらどのように感じますか?
人は、今とは違うものを望み、あんな人生だったらいいのにと思うことがあります。
でも不思議なことに、人によって幸福のかたちってずいぶん違いますよね。
「私はこれがどうしても嫌だ」と思うものでも、もしかするとこの広くて長い宇宙のどこかでは、それをどうしても欲しがった者がいたかもしれません。
いざ私たちは欲しいものを手に入れても、だんだんその価値に慣れて別の何かが気になり始めるものです。
あれほど切望していた気持ちもだんだん忘れていきます。たとえどれほど強かった想いの熱量でも手に入れてしまえば薄れていきます。
人はあたりまえにあるものには、だんだん関心を向けなくなっていくものです。
そして、その誰かが切望しているものって必ずもう持っている人がいます。
その人もまた、誰かが持っているものを切望しています。
そしてその人もまた。その人もまた──。
ところで、あなたの存在や、あなたの人生。
その顔も、身体も、性格も、環境も、癖も、出来事も、体験も、これまでの日常も。
今ではあたりまえのものですが、あなたには、あなたという人物も、あなたという人生も、知らなかった頃がきっとあったはずです。
その存在も、その人生も、かつて誰かの切望の果てに生まれたものだとしたら。
もし、仮にそうだったとしても、すっかり忘れてしまっていたら、はたしてそうだったのか、そうじゃなかったのかさえわかりません。
それなのに、なんでもない日のなんでもない瞬間に、ふと生命の喜びが爆発することがあります。
それは長い宇宙の歴史の中で、たとえ誰一人共感してくれなかったとしても確かに感じられる何かじゃないでしょうか。
あの自由は一体、何なのでしょうね。
ある意味で、その一瞬、それまで別々に見えていた無数の点がひとつの線になったのかもしれません。
あなたには切望する体験や、理想の人生がありますか?


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