遠き家

僕は推し活をしている。

少し前に地方転勤から戻ってきた僕は、数年ぶりにとある友人と会った。

彼とは以前、同じグループを推していた仲だ。推しているメンバーこそ違ったけど、よく一緒にライブへ行ったりグッズを買ったりイベント情報を送り合ったりしたことがある。

しばらく会っていなかったので近況を聞くと、彼はさらっと驚くようなことを言ってのけた。

推しと結婚したらしい。もちろん最初は冗談だと思ったけど彼が見せてきたものを見て、思わず椅子から転げ落ちそうになった。

結婚式の写真で彼の隣にいたのは何度見直してもステージで見続けてきた、あの人。彼の推しだった。

二人ともお揃いの指輪をしていたし、彼が見せてきたLINEにはその人から「麻辣湯食べたい。持ち帰りできるっぽいから帰り買ってきて」とメッセージも来ていた。

確かに彼女が一般男性と結婚したことは僕も知っていた。でもその相手がまさか自分の友人だなんて、こんなことってあるのか。

すごいな。いや、すごすぎる。推し活の最終地点みたいな話だ。

ところが、妙なことに気づいた。彼は以前のように推し活を続けているのだ。

*

僕との再会をきっかけに彼は仕事が終わると連絡してきて、ライブに誘ってくる。

新しいグッズが出れば並ぶし、イベントがあれば決まって抽選に申し込む。おまけに「いやぁ、こないだ何度も目があった」と嬉しそうにしている。前よりも熱心なくらいだ。

ある日、僕はさすがに聞いてみた。

「推しと結婚したんだよね?」

「そうだよ」

「一緒に暮らしてるんだよね?」

「うん、そりゃ夫婦だからね」

「じゃあ、なんでそんなに推し活してるの?」

「結婚したって、推しは推しだから」

え、どういうことだ。同じ人だろ。

ステージでは照明の真ん中に立っていて、少し手を振っただけで歓声が上がる。

彼も観客に混じって、満面の笑みで口を開け、雄叫びを上げている。

*

何日かしてのこと。彼の推しがライブの途中にこちらに向かってタオルを投げた。

彼は反射的に僕の肩に肘を乗せて、思いっきり手を伸ばした。

しかし、そのタオルは彼の頭上を越えて、後ろにいた背の高い男が間一髪でかっさらった。

「うわ……」

そのあと何曲か、彼はしばらく声を出さなかった。

僕たちは帰りに行きつけの店で軽く飲むことにした。僕は悶々としていて、何を飲んでいるのかあまりわからなかった。

「奥さんって家ではどんな人なの?」

「普通だよ」

「普通って?」

彼は手羽先の骨のまわりをしゃぶりながら言った。

「基本明るくて元気な人だよ。こないだ、新人の子がどうとか仕事のことを色々言ってたな。俺、仕事のことにはあまり首突っ込まないからそういう時ちょっと困るんだ。まあ色々と気苦労があるんだろうな」

「へえ……」 

「それから推しのサイン付きポスターが、なんと俺の留守中に届いちまってよ。『また買ったの?』って、その時はさすがに呆れてたよ」

彼は一気に酒を飲んだ。

「それはそうと」

彼が急にスマホをこちらへ向けた。

「ほら、今日の神ショット」

画面には、さっきのライブの写真が映っていた。

「この表情やばくない?デビュー当時と比べて、最近、ずいぶん表情が柔らかくなったよな。なんだかんだで今夜のライブも最高だったな」

そのとき彼のスマホが鳴った。画面を見て彼が言った。

「あ、仕事から帰ってきたみたい。帰りにトイレットペーパー買ってきてだって」

「誰が?」

「妻が」

そう言ってスマホをしまうと、すぐに僕の方を向いた。

「来週の仙台も当然行くよな」

「また?」

「あたりまえだよ。今度こそ俺、タオルをゲットするから」

「家にいるじゃんか」

思ったより大きな声が出た。ちょうど通りかかった店員が一瞬こちらを見た。

彼は目を丸くしてから、真顔になって静かに言った。

「家にいるのは妻だから」

そして、彼は次の週も僕と推しのライブへ行った。

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この記事を書いた人

パラトゥリクス管理人。真理探究、悟り、意識について書いています。

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