「なぜ真理探究をしたの?」
こう聞かれることがあります。
実のところ私は、自分が真理探究の道に入るとは思ってもいませんでした。
確かに小さい頃から不思議なことに想いを馳せたり、そういう出来事はありました。
小学生の頃、「地獄先生ぬ〜べ〜」が好きで、般若心経と塩を持って登校したり、
「悪霊を退治する会」を遊びで作ったりしていました。10代には潜在意識、波動、チャクラ瞑想や神研究など、スピ的なことが嫌いだったわけではありません。いや、こう書くと好きだったのか・・。
いや、でも、それはあくまで遊びや軽はずみで、私はずっと現実的に、普通に、人間関係や仕事に夢中でした。
悟りや目覚め、覚醒といったような世界は、怪しいというか伝統的な圧や、どこか堅苦しいものだと感じていて、自分のキャラや人生とはどこか遠いものだと思っていたんです。
その流れが本格的に始まったのは、2015年のことでした。
その年の私は、仕事にハマっていて、毎日休みも返上して打ち込んでいました。
その時の会社のグループの誰よりも成績一番になりたい。どうすれば売り上げが伸びるのか。どうすれば利益を増やせるのか。早く、早くと、焦るくらい無我夢中でした。
当時同棲していた彼女もいましたが、たびたび心配をかけていました。
努力はそれなりに結果として返ってきました。当時かなり楽観的主義だったのも功を奏して成績は伸び、仕事はうまくいき始め、精神的に穏やかさや平和な感じとは縁がなかったけど、それなりに充実していました。
しかし、そのピークの時、突然、何の前触れもなく、当時同棲していた彼女を亡くしてしまったのです。
その出来事は、私の人生を根底から覆しました。
世界が文字通りモノクロになるような衝撃でした。
精神的に相当落ち込み、私は結局もとのような情熱を持って働くことができなくなり、退職してしまいました。
当時帰る家もなく、しばらくビジネスホテルに引きこもり、その後、即席で借りた部屋のベッドで何日もただ座り込んでいました。
もちろんこの時期に起きたことは、私の語彙力ではとてもまとめられるものではありません。それまでの私は、楽観主義だったとはいえ、このことに関してはもう無理でした。
何とか一日を乗り越える、それだけでした。
私はもう自分の全部を信じられなくなりました。
自分の考え、判断、行動、方針、計画。全部砕け散りました。
何日も、ただ同じ問いだけが心を巡り続けていました。
「自分はなぜ生きている」
「なぜ生まれてきた」
「運命、人生とは何なのか。どうして自分は何も知らないまま、今まで疑いもなく生きてこられたのか」
答えのない問いを抱えながら、自答を繰り返していました。
考えても、考えても、何一つ分かりませんでした。時間だけが過ぎていき、世界は何事もなかったように続いていました。
答えに近づいている感覚さえありませんでした。
ある朝、ベッドに座り、ぼんやり壁を見ていました。
突然、それも、約束されていたかのように、身体にまとわりついていた感覚がほどけ始めました。
鎖のように絡みついていた硬い殻が、ぽろ、ぽろ、ぽろ、と剥がれ落ちていくような感覚でした。
私はなぜか、驚きや恐怖よりも、何かの液の中でドロドロになっていくような、もうどうなっても構わないと言えるような謎のエクスタシーが全身に広がりました。
10分ほど経った頃でしょうか。身体感覚が、すべて消えてしまいました。
胸や腹に張り付いていた重いエネルギーのようなものも、きれいになくなっていました。
意識の中から、どこを探しても、身体が消えてしまったんです。
身体がこの世界から、物理的に消えたという意味ではありません。
でも、その「自分は身体だ」という観念、信念、前提がまるごと抜け落ちてしまったんです。
不思議なことに、恐怖は一切ありません。
むしろ、これまでの人生史上、もっとも冷静で、誤解を恐れず言ってしまえば、
それは何か「天国的」と形容したくなるものでした。
部屋のベランダの方から聞こえる、街の騒音、車の通る音、カラスの鳴き声、それらは完璧でした。何ひとつ間違っているものはありませんでした。
すべてが驚くほど、完璧、それはなぜそうなのかと説明がなくても、そうでした。
鐘が鳴り響くような、甘く、とろける蜜の中へ溶けていくような、感覚、思考、車の音、カラスの「カァ」が、
連動して、全自動で起こり続けていました。
その瞬間、私は確信しました。
「なんてことだ……まさか。私は身体ではなかったんだ」
続けて、もう一つの理解が訪れます。
「まさか……これまで、本当は一度も、何もしていなかったんだ」
そして、「そうだ。知りたかった。ずっと、このことを知りたかったんだ」
そう感じた瞬間、腹の底から、塊のような重い、エネルギーのような、声のようなものが湧き上がってきました。
これを「知った」のではなく、ずっと、本当は「知っていた」、という感覚でした。
「遥か太古の彼方より何度も何度も、同じことを繰り返しながらも、同時に、ずっと知っていた」
「一度たりとも失われたことなく、いつだって、どんな時にさえ、あるものを」
ずっと忘れていなかったということを思い出したのです。強烈な懐かしさがありました。
その瞬間でした。何万年もせき止められていたダムが決壊するように、何かが爆発しました。
身体のエネルギーが戻りました。それで全身が激しく震え出しました。腹の底、胸の奥、脊柱。
もう息絶えそうな虫のように、身体が蠢いているのです。腹の底から、いや、腹の底の底から、
痛みを伴った激しい爆発が、上へ上へ放出されようとしていました。
私は強く泣きたいような衝動に駆られました。
だから、そのままにしておりました。ところが、出たのは、
爆発的な大笑い、本気の大笑いが放出されました。腹がちぎれそうな、とても大声で。
それは誰の声でも、笑いでもありませんでした。身体自身が、身体自身のために行なっているようでした。狂ったかのように、でも真剣に叫んでいるような、狂気めいた、赤ちゃんのような笑いのようなものでした。
身体というコントロールが解放されたことが、そのまま歓喜となって部屋中に噴き出してきたんです。
それは恐ろしいほどの歓喜でした。
あらゆる責任も、苦しみも、重圧も背負っていた私の前人生は、まったく私が動かしていたものではなかったという拍子抜け。
私はベッドの上にのたうち回り、転げ回りながら、大声で叫び、狂ったように大爆笑を放出し続けていました。
それははじめての一瞥体験でした。
そのあと、これまで幸せだと思っていたものが、すべて違って見えました。
成功することも、認められることも、欲しいものを手に入れることも、素晴らしいことだったけど、
変化するものの中で起きる幸福でした。
それらを否定したわけではありません。
ただ、その時に触れていたものは、確かな説得力とすべてと連動しているという圧倒的な平和と、運命に対する信頼と至福を伴った桁違いの歓喜でした。
その日は、一日中その感覚に触れ続けていました。
私は、長いこと失っていた記憶を思い出したような気がしたんです。
「そうだ。思い出した」
「ほんとうのことを知りたい」
「嘘でも、偽りでもない、ほんとうのこと」
「そのことだけが、私の本音の関心テーマだった」
次の日には、その大笑いも身体の変化も、感覚も消えていました。
まったく何事もなかったように、私は以前の、あいかわらずの「自分」に戻りました。
ただ、以前と同じ人生へ戻ることはできませんでした。
残ったのは、一つだけです。
「自己探究、真理探究の道へ入る」という決意、いや、決定が押されたような感じでした。
だから人から「なぜ、悟りや真我を探究しようと思ったの?キッカケは?」と聞かれたら、
「ある時、朝、ベッドの上で一瞥してしまったから」という答えになります。
そのためなら人生を丸ごと捧げても良い。死んでも構わないとさえ思うほどの欲求が宿ったのです。そこから私の人生は、そういう方面の流れに切り替わりました。
強い探究の衝動、混乱、切望、カオス。
それまでとはまったく違う、内的な方向を中心に、生活は動き始めました。



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