私の探究遍歴 ② 身体が消えた朝

「なぜ真理探究をしたの?」

こう聞かれることがあります。

実のところ私は、自分が真理探究の道に入るとは思ってもいませんでした。

確かに小さい頃から不思議なことに想いを馳せたり、そういう出来事はありました。

小学生の頃、「地獄先生ぬ〜べ〜」が好きで、般若心経と塩を持って登校したり、

「悪霊を退治する会」を遊びで作ったりしていました。10代には潜在意識、波動、チャクラ瞑想や神研究など、スピ的なことが嫌いだったわけではありません。いや、こう書くと好きだったのか・・。

いや、でも、それはあくまで遊びや軽はずみで、私はずっと現実的に、普通に、人間関係や仕事に夢中でした。

悟りや目覚め、覚醒といったような世界は、怪しいというか伝統的な圧や、どこか堅苦しいものだと感じていて、自分のキャラや人生とはどこか遠いものだと思っていたんです。

その流れが本格的に始まったのは、2015年のことでした。

その年の私は、仕事にハマっていて、毎日休みも返上して打ち込んでいました。

その時の会社のグループの誰よりも成績一番になりたい。どうすれば売り上げが伸びるのか。どうすれば利益を増やせるのか。早く、早くと、焦るくらい無我夢中でした。

当時同棲していた彼女もいましたが、たびたび心配をかけていました。

努力はそれなりに結果として返ってきました。当時かなり楽観的主義だったのも功を奏して成績は伸び、仕事はうまくいき始め、精神的に穏やかさや平和な感じとは縁がなかったけど、それなりに充実していました。

しかし、そのピークの時、突然、何の前触れもなく、当時同棲していた彼女を亡くしてしまったのです。

その出来事は、私の人生を根底から覆しました。

世界が文字通りモノクロになるような衝撃でした。

精神的に相当落ち込み、私は結局もとのような情熱を持って働くことができなくなり、退職してしまいました。

当時帰る家もなく、しばらくビジネスホテルに引きこもり、その後、即席で借りた部屋のベッドで何日もただ座り込んでいました。

もちろんこの時期に起きたことは、私の語彙力ではとてもまとめられるものではありません。それまでの私は、楽観主義だったとはいえ、このことに関してはもう無理でした。

何とか一日を乗り越える、それだけでした。


私はもう自分の全部を信じられなくなりました。

自分の考え、判断、行動、方針、計画。全部砕け散りました。

何日も、ただ同じ問いだけが心を巡り続けていました。

「自分はなぜ生きている」

「なぜ生まれてきた」

「運命、人生とは何なのか。どうして自分は何も知らないまま、今まで疑いもなく生きてこられたのか」

答えのない問いを抱えながら、自答を繰り返していました。

考えても、考えても、何一つ分かりませんでした。時間だけが過ぎていき、世界は何事もなかったように続いていました。

答えに近づいている感覚さえありませんでした。


ある朝、ベッドに座り、ぼんやり壁を見ていました。

突然、それも、約束されていたかのように、身体にまとわりついていた感覚がほどけ始めました。

鎖のように絡みついていた硬い殻が、ぽろ、ぽろ、ぽろ、と剥がれ落ちていくような感覚でした。

私はなぜか、驚きや恐怖よりも、何かの液の中でドロドロになっていくような、もうどうなっても構わないと言えるような謎のエクスタシーが全身に広がりました。

10分ほど経った頃でしょうか。身体感覚が、すべて消えてしまいました。

胸や腹に張り付いていた重いエネルギーのようなものも、きれいになくなっていました。

意識の中から、どこを探しても、身体が消えてしまったんです。

身体がこの世界から、物理的に消えたという意味ではありません。

でも、その「自分は身体だ」という観念、信念、前提がまるごと抜け落ちてしまったんです。

不思議なことに、恐怖は一切ありません。

むしろ、これまでの人生史上、もっとも冷静で、誤解を恐れず言ってしまえば、

それは何か「天国的」と形容したくなるものでした。

部屋のベランダの方から聞こえる、街の騒音、車の通る音、カラスの鳴き声、それらは完璧でした。何ひとつ間違っているものはありませんでした。

すべてが驚くほど、完璧、それはなぜそうなのかと説明がなくても、そうでした。

鐘が鳴り響くような、甘く、とろける蜜の中へ溶けていくような、感覚、思考、車の音、カラスの「カァ」が、

連動して、全自動で起こり続けていました。


その瞬間、私は確信しました。

「なんてことだ……まさか。私は身体ではなかったんだ」

続けて、もう一つの理解が訪れます。

「まさか……これまで、本当は一度も、何もしていなかったんだ」

そして、「そうだ。知りたかった。ずっと、このことを知りたかったんだ」

そう感じた瞬間、腹の底から、塊のような重い、エネルギーのような、声のようなものが湧き上がってきました。

これを「知った」のではなく、ずっと、本当は「知っていた」、という感覚でした。

「遥か太古の彼方より何度も何度も、同じことを繰り返しながらも、同時に、ずっと知っていた」

「一度たりとも失われたことなく、いつだって、どんな時にさえ、あるものを」

ずっと忘れていなかったということを思い出したのです。強烈な懐かしさがありました。

その瞬間でした。何万年もせき止められていたダムが決壊するように、何かが爆発しました。

身体のエネルギーが戻りました。それで全身が激しく震え出しました。腹の底、胸の奥、脊柱。

もう息絶えそうな虫のように、身体が蠢いているのです。腹の底から、いや、腹の底の底から、

痛みを伴った激しい爆発が、上へ上へ放出されようとしていました。

私は強く泣きたいような衝動に駆られました。

だから、そのままにしておりました。ところが、出たのは、

爆発的な大笑い、本気の大笑いが放出されました。腹がちぎれそうな、とても大声で。

それは誰の声でも、笑いでもありませんでした。身体自身が、身体自身のために行なっているようでした。狂ったかのように、でも真剣に叫んでいるような、狂気めいた、赤ちゃんのような笑いのようなものでした。

身体というコントロールが解放されたことが、そのまま歓喜となって部屋中に噴き出してきたんです。

それは恐ろしいほどの歓喜でした。

あらゆる責任も、苦しみも、重圧も背負っていた私の前人生は、まったく私が動かしていたものではなかったという拍子抜け。

私はベッドの上にのたうち回り、転げ回りながら、大声で叫び、狂ったように大爆笑を放出し続けていました。


それははじめての一瞥体験でした。

そのあと、これまで幸せだと思っていたものが、すべて違って見えました。

成功することも、認められることも、欲しいものを手に入れることも、素晴らしいことだったけど、

変化するものの中で起きる幸福でした。

それらを否定したわけではありません。

ただ、その時に触れていたものは、確かな説得力とすべてと連動しているという圧倒的な平和と、運命に対する信頼と至福を伴った桁違いの歓喜でした。


その日は、一日中その感覚に触れ続けていました。

私は、長いこと失っていた記憶を思い出したような気がしたんです。

「そうだ。思い出した」

「ほんとうのことを知りたい」

「嘘でも、偽りでもない、ほんとうのこと」

「そのことだけが、私の本音の関心テーマだった」

次の日には、その大笑いも身体の変化も、感覚も消えていました。

まったく何事もなかったように、私は以前の、あいかわらずの「自分」に戻りました。

ただ、以前と同じ人生へ戻ることはできませんでした。

残ったのは、一つだけです。

「自己探究、真理探究の道へ入る」という決意、いや、決定が押されたような感じでした。

だから人から「なぜ、悟りや真我を探究しようと思ったの?キッカケは?」と聞かれたら、

「ある時、朝、ベッドの上で一瞥してしまったから」という答えになります。

そのためなら人生を丸ごと捧げても良い。死んでも構わないとさえ思うほどの欲求が宿ったのです。そこから私の人生は、そういう方面の流れに切り替わりました。

強い探究の衝動、混乱、切望、カオス。

それまでとはまったく違う、内的な方向を中心に、生活は動き始めました。

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この記事を書いた人

パラトゥリクス管理人。真理探究、悟り、意識について書いています。

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