問い
潜在意識のすでにあると、非二元や真理探求の求めているものはすでにある。あなたはすでにそれだ。
これは同じなんですか?違うんですか?
私は真剣に悟りを求めていてあなたはすでにそれだという言葉を知ってから、すでに悟っている前提でいようとしてきました。
静かで満たされている時はこれでいいのかもと思えるのですが、思考や不安が戻ってくると落ち込みます。
その時の状態だけで悟っているかどうかを判断してしまっているのでしょうか。
応答
これは、同じ「すでにある」という言葉でも、指し示しているものが違います。
潜在意識の「すでにある」は、まだ目の前にないものを、あるものとして扱います。
たとえば今は日本にいて、来週アメリカへ行きたい人がいるとします。その願いがもう叶ったものとして、アメリカにいる自分の感覚を先に味わいながら日本で過ごす。これが潜在意識の「すでにある」です。
つまり、望んでいる状態があるわけです。その状態がもう実現しているものとして感じ、考え、過ごすわけですね。
これは、現在から未来へ向かう「時間の中」で成り立っています。
一方、真理の「すでにある」は日本にいてもアメリカにいても「そこを認識している意識はすでにある」という事実を指しています。行き先や状態を想像するより以前から、前から、「実際にここにあるもの」を確認してもらうためにです。
「私は不安だ」という思考が起きた時、その思考が起きていることには、すでに気づいています。
「これじゃあダメかも」と悩んでいる時もその悩みがあることを、知っています。
真理が指している「すでにある」は、この「気づき」に対して言っています。
過去や未来も含め、時間の動きそのものが、この気づきの中に現れています。
あなたが静かな時に「今は悟りに近い」と分かるのは、その静けさの中に思考に振り回されていた時の過去の記憶があるからです。思考や不安が出た時に「悟りから離れた」と感じるのも、その不安の中に静かだった時の過去の記憶があるからです。
その瞬間の状態と、逆の性質を持つ過去の記憶が比べられることで「悟りに近い」「悟りから離れた」という判断が生まれます。
心は、その二つを振り子のように行き来します。一方、その振り子がどちらへ動いている時も、動いていることには気づいています。気づきは、静かな時に増えたり、不安が出た時に減ったりしません。
ここが大きな違いですね。
潜在意識の「すでにある」は、まだなくても「ある」として生きる。
真理の「すでにある」は、「ある」として生きようとする前から、もうあります。
*
いいですか?
あなたが悟りを手に入れる前から、あなたが在ることは、すでに叶っています。
もうあるものは、あらためて手に入れることはできません。もうあるのだから。
そして、その「在る」を手に入れることが悟りです。
なので、「在る」を手に入れてください。


コメント