悟ると「愛しかない」とは、どういうことなの?

問い

自愛や自己愛についてはどう思いますか?

悟ると「愛しかない」と言うけど、どんな感覚なの?

応答

そうですね。まず自愛、自己愛の話から。

自分を愛することは、個人として生きるうえで実際に役立ちます。

たとえば、来週の水曜日にあなたの人生にとっての岐路になるような大切なイベントがあるとしますね。

その水曜日に挑む精神的態度としては、過去に失敗した自分を責め続けない方がいいし、フラットで中立な精神状態、もしくは、少し、自分はいいものを受け取るに値するという自信や自肯定感があった方がスムーズに物事の展開が流れやすいということは実際に、そして確率的にも多くあるように感じます。

また、たとえばあなたの人生運を、これから一ヶ月間だけに限定したとしましょう。

不安や怒りを感じた場合、そんな自分を、できるだけすぐに否定しないように心がける、他人に対して向けられる理解を、同じように自分にも平等に向ける。疲れているなら休ませる。嫌なことには嫌だと言う。心や身体から、痛みの信号が出ていたり傷つけられているなら、その場所から離れる。

こうした体や心の反応からのメッセージを汲んで、実際的にそのようにしてみる行動や動きは、心に蓄積された自己否定を弱めていくのに役立ちますし、そういうステップから自愛や自己愛の成功体験が作られていきます。

そういう流れによって人生や仕事、人間関係がよくなったり付随して思わぬことが叶ったり、修復したり、少なくとも、自分を敵として扱い続ける状態から離れるだけでも、実際的に思考や行動、人間関係は良い方に変わることはあるでしょう。

ただし、自愛には少し難しいところがあります。

もし、生涯を通して、もしくは、自分のマインドの全体像を知ること、真我実現を目的とする中での過程として、

自我への同一化、個人のヴァーサナー(潜在的な心の傾向)を熟知するとするならば、

あなたのマインドの中の「自己否定性」を全肯定するよりも、あるがままの動きそのものを、そのまま見て、熟知する必要があります。

否定があるなら否定として知る、気づく、肯定があるならまた肯定として知る、気づく。

「誰が知っているのか、誰が気づいているのか」の問題に挑むためにも、

まず、このあるがままの動きそのものをしっかり熟知する「観照力」が大切になってきます。


では、悟りの文脈で言われる「愛しかない」の話。

これはどんな感覚なのか。

確かに、意識を直接知り、安定し始めると、境界が薄れたり、木や空や他人や出来事すべてが、自分から切り離されたものではないように感じたり、それにより感じやすくなることが増えたり何でもない日常の景色に深い親しさが湧いたり、理由もなく癒しやくつろぎ、笑みや涙が出ることもあります。

ただ、そこで生まれ、放出されたのが感情としての愛なら、それはいずれ変化します。

どれほど、サットヴァ多めの(静けさや調和の傾向が強い)精神や人格であっても、強烈な優しさや共感が起きる瞬間もあれば、何も感じない無感動の瞬間もあるし、逆に激しい憎悪や悲嘆が起きる瞬間もあります。晴天が長く続く乾燥地方でも条件によって雨は降るのです。

ところが、真理の文脈でいう愛は、この感情の面の話をしていません。愛が感情ならば感情が永遠に継続することもその必要もありません。

「私が何かを愛している」のではなく、「愛する者」と「愛される対象」が、もともと分かれていなかった。

この構造の背景の面の話です。

怒りも、悲しみも、嫌悪も、喜びも、優しさも、勇気も、自信も、意識があるからこそ発生することが可能となります。

言い換えれば、あらゆる動きは、現れた時点ですでに意識の中にあります。

意識は、個人が良いと判断するものだけを選んで映しているわけではありませんね。

個人がそれを悪いと判断することも含めて、意識があるから出現可能となっています。

だからといって、残酷な出来事まで「愛だ」と肯定する話でもないのですが。

つまり、真理の文脈の愛とは、出来事の内容として一般的に愛と判断されている事象のことではなく、

何が現れても、それはその根底から切り離されていない。意識そのものの在り方に対しての言葉です。

「愛しかない」とは、個人がすべてを好きになろうとすることや、誰にでも優しくなることでは、厳密にはないんです。もちろん、そう努力すること、あるいはそのような精神的な受け皿の領域が広がることが結果的に備わることは実際にあるでしょうし、それを否定している話ではないんです。

ただ、真理のポインターはもっとシンプルな構造を指しており、それが、常に変わらない純粋な意識の特徴です。

その非個人的な、あるいは、個人を成立させる前の、純粋な意識の立場からすれば、愛する者が愛される者へ近づいて一つになるのではなく、最初から二つではなかった。

その直接的な理解が、「愛しかない」と表現されているものです。

私がそれを表現するとしたら、「  」か、沈黙か、

もっと概念でできるだけ誤解のないように言語化するならば、「愛しかない、でも、愛に全く見えないような幻影が飛び回る、だけど実際は愛しかない、そのことを知る者も知らない者も含めて、愛しかない」

言葉にすると、こんな長い迂回路になりますね。

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この記事を書いた人

パラトゥリクス管理人。真理探究、悟り、意識について書いています。

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