「自/他」は空想。
空中に咲く花があるという噂。それは事実だろうか?
あなたは信じないだろう。私もきっと信じない。
それなのに我々は、何度も何度も生涯にわたってそのような、幻のネッシーを熱心に探してしまう。
好きだから。
あるいは探すのは嫌いだけど、止まる方法、停止する意義を、知らないから。
動き続けないことは「自己の無」を連想させるから。
我々はいつでも、「自己は有」であるという世界観を維持していたい。
その世界観が美しかろうが醜くかろうが「無」よりマシさ。
それが我々。熱心なネッシー探索隊。
「自/他」は空想。
あなたという空白のスクリーンの中で、あらゆる世界の物語が現れているようにみえる。
だが、どれほど連続して物語のように繋がって見えても、
1コマずつ切り取って眺めれば、それは静止画でしかない。
あなたは「自」が「自/他」の想像を考えていると信じている。
だからこそ、「自」の思考を変えようとしたり、コントロールしようとしたり、止めようとする。
しかし、その波のような「自」の思考は、「全体」としての海から派生している。
あなたがやろうとしていることは、自の思考をどうこうしてるように見えて、
実は世界を変えようとしたり、コントロールしようとしたり、止めようとしているのだ。
たとえば、ここに一つの絵があるとする。
この絵はパズルのピースが一枚一枚くっついてひとつの絵となっている。
このパズルのワンピースのひとつひとつが転生なんだ。
それは数々ある物語が集合して、ひとつの型をとっている。
これが、集合意識なんだ。
これが、この絵が、いま、世界で投影され、映し出されている。
あなたの中で。
「他の幸福を願い」「他の不幸を悲しみなさい」という言葉は、決して道徳論なのではない。
「自/他」は空想なんだ。
あなたが在らなければ、空想さえも成り立たない。
決して想像することが不可能なもの、それがあなただ。
あなたが在るからこそ、想像することが可能になる。
あなたが在るからこそ、道に咲く花も、空中に咲く花も、湖の魚も、湖のネッシーも、創造も、想像も可能なんだ。
あらゆるものを可能にする、全宇宙の親である、偉大なあなたに。合掌!

